コラム
東京に住む外国人によるリレーコラムTOKYO EYE
東北は「東京帝国主義」から脱却せよ
今週のコラムニスト:クォン・ヨンソク
〔2月15日号掲載〕
東京電力が、厚かましくも電気料金を上げるらしい。原発か値上げかの二択を迫るあたりは、旧態依然とした体質そのものだ。ところで、もう1つ僕が不快に思うのは、その社名だ。東京の莫大な電気需要のため、東北に危険な原発を押し付けておいて「東京」電力とは何事か。
東電はその事業地域内に、自社が保有する原発を置いていない。東電の原発がある県はいずれも、「東北」電力の事業地域だ。東電は社名をエコならぬ「エゴ電力」に変えるか、あるいは「安全」なはずの原発を東京に持ってくるのが筋だ。
その東電の原発で起きた事故後、スーパーでは野菜や肉、魚介類などの産地を確認する客をよく目にするようになった。震災前はあまり意識されなかったが、東京の生鮮食品の多くは東北からのものだ。東京人はいかに自分たちの胃袋が東北に支えられてきたかを痛感しているはずだ。
僕も含め、東京に住む人は東北に感謝しなければならない。これまで東京人は自分の欲望を満たすため、東北から電気や生鮮食品、米、酒などを提供させ続けてきた。あとは、たまに温泉などを訪れる場所というくらいの認識だろう。これではまるで東京の下請けだ。
東京のために放射能汚染の危険性がある施設を受け入れ、農業と漁業に励む。それでいて感謝されないばかりか「地味だ」「田舎だ」と、暗いイメージで語られることすらある。若者たちはそんな故郷を離れ東京を目指す。これはある意味「東京帝国主義」ともいえる状態だ。
■東北アジアの中心になれる地
帝国主義は、外国との関係にだけ存在するものではない。中心と周辺の格差が絶対的で、文明の地である中心のために周辺が特定の産業に従事させられ、独自性を持つことなく従属し、生命の危険を感じながら生きることを強要される──沖縄ほど露骨でなくとも、東北も緩い形の「国内帝国主義」の対象地といえる。
もちろん東京に限ったことではない。ソウルもまた、東京以上の一極集中と「帝都」ぶりを見せている。それを是正すべく前政権は、行政機能の多くを南方に移す遷都を試みたが、現政権下で骨抜きにされた市が誕生しただけだった。今週、新ソウル市長が訪日し、石原都知事と会談するが、この問題を共通の課題として議論することを望みたい。
話を東北に戻せば、そもそも名称自体が極めて安易だ。韓国の面積にも匹敵する広大な地域なのに、単に都からの方角を指す言葉で表現されてきた。東北の人たちもそれをおかしいと思わないほど、国内帝国主義意識は内面化しているのかもしれない。自ら公募で地域名を選び取るのも1つの手だ。
復興のため被災地の物を買おうという呼び掛けも釈然としない。もちろん現状では重要なことだが、東京が無意識に抱く「上から目線」が表れているように思えてならない。
この際東北は東京帝国主義から決別し、北海道と組んで「東北アジア」に活路を見いだしてはどうだろう。東北が「独立」を宣言すれば困るのは東京のほうだ。
将来的にロシアや北朝鮮との関係が改善すれば、東北は中国東北部やアメリカ大陸を含む交易の道の中心地として脚光を浴びる可能性も秘めている。南は九州・沖縄が、北は北海道と東北が、それぞれ中心に吸い込まれる「縮み志向の日本」ではなく、東アジアおよび東北アジアへと伸びていくことで地域も活性化し、結果的に日本全体の発展にもつながる。
東北の復興が叫ばれているが、このような大きな観点から捉える必要がある。その前提となるのが「東京帝国主義」の払拭だ。東京の何がそんなに偉いのか。東北が自立し、生き生きとした社会になること。それも、あの未曾有の悲劇を希望に変える道であり、真の復興への第一歩になるだろう。
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