コラム
東京に住む外国人によるリレーコラムTOKYO EYE
忙し過ぎる東京人たちが師走の街を駆け抜ける
今週のコラムニスト:マイケル・プロンコ
〔12月21日号掲載〕
東京に来て最初に覚えた言葉の1つは「忙しい」だった。言い訳として覚え、いまだによく使う。世界の大都市はどこも忙しいが、東京の忙しさは次元が違う。別格の忙しさ、私に言わせれば「トーキョー・ビジー」だ。
カレンダーはあっという間に埋まっていく。特に年末の東京は、TVゲームのファイナルステージ並みに速度を上げる。東京の街と同じで、東京人もスペースやスケジュールが空くのを嫌う。一日はプロジェクトやパーティーや用事でぎっしりで、ラッシュアワーの電車のようだ。会議も普段より長い。人々は同時にいくつものことをこなし、電車までいつもより速く走る気がする。
もちろん、忙しいとお金を使う。立ち食いそばやコンビニや自動販売機といった、忙しい人向けのビジネスにとっては絶好の儲け時に違いない。駅のプラットホームでペットボトルのお茶を飲む暇もないような気がする日だってある。レストランは2時間の時間制限をし、買い物客は忙しさを誇示するかのように、腕にいくつもショッピングバッグをぶら下げている。
アメリカでは11月下旬の感謝祭に一旦ペースダウンし、一日中食べてテレビを見て身内で過ごす。それから再びペースを上げてパーティーシーズンに突入し、クリスマスにまた少しスローダウンした後、大みそかに盛大に盛り上がる。アメリカの年の瀬には緩急があるが、東京の場合はマラソンのラストスパートのように加速する一方だ。
この時期になると、「忙しい」にはいつもと違う意味合いが加わる。挨拶代わりにもなれば(「元気?」「忙しいよ」)、言い訳にもなる(「一杯どう?」「ごめん、忙しくて」)。忘年会の誘いを断るのも簡単だ。別の忘年会で忙しいと言えば、それで通じる。
同情もされる。私が外国人だからかもしれないが、忙しいと言うと東京人はいつも済まなそうにする。顔をしかめ、うなずいて、このかわいそうなガイジンが忙し過ぎる東京のライフスタイルから抜け出せずにいることが気の毒でたまらないと言わんばかりだ。
私はそれをあおるように「いーそーーがーーしーーぃ」と言い、さらに強いアメリカなまりで「スゴク」と付け加えて、トーキョー・ビジーに染まっているつらさを強調する。東京人はそれが自分の落ち度だと感じているようだ。あるいは嫉妬しているのかも。彼らは内心ではいつも、忙しいのを誇りに思っているから。
■ゴールしたランナーのように
活気があるのはいいが、特に年末、急ぎたくないのに急がされるのには、いまだにどうもなじめない。エスカレーターの右側に追いやられて急いで上るときのような気分になる。東京人のようにいくつもの予定を手際よくこなすなんて芸当は、私にはまだ無理だ。
東京人にとって年末は、一年で最も付き合いで忙しい時期の1つだが、最も内面を見詰めるのに忙しい時期でもある。電車の乗客たちは普段よりも窓の外をじっと見詰めて物思いにふけっているようだ。この一年を振り返っているのか、それとも来年の計画を立てているのか。
とはいえほとんどの東京人は、1月初めの驚くほど静かな数日間に思いをはせているのだと思う。年明けの東京では誰もがゴールインして倒れ込んだマラソンランナーのようだ(その間もテレビでは箱根駅伝のランナーたちが走り続けているのだが)。ほんのつかの間、東京は世界一忙しくない都市の1つになる。
その数日間が、私にとってはたぶん東京で過ごす一番お気に入りの時間だ。急がない、静かな東京を、ここぞとばかり満喫する。恋人の寝顔を見ながら2人の関係を見詰め直すのに似ている。目が覚めたら、またいつもどおりの日々が始まるのだけれど。
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