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コラム
瀧口範子@シリコンバレーJournal
「忘れられる権利」の行使にグーグルがしっぺ返し
ヨーロッパで下されたグーグルに対する「忘れられる権利」判決。これを巡って、予想した通りの混乱と同時に面白い事態が起こっているようだ。
周知のように「忘れられる権利」は、グーグルの検索結果に表示される報道の内容を適切でない、すでに無効、あるいは大袈裟であるといった理由で、表示されないようリンク削除を求める権利のこと。
もともとスペインの男性が起こした訴訟に対して、さる5月にEUの司法裁判所が判決で認めたのが最初だ。この男性は、1998年に地元新聞でローンの滞納によって自宅が差し押さえになった件が報じられたが、それが支払いを済ませた今も検索結果に表示されるのを不服とし、個人として自律的な生活を営むことが阻害されていると訴えていた。
この判決が下ってから、グーグルには7万件の削除要請が寄せられているという。そして、グーグルはごく最近になって削除作業を開始したようだ。しかし、この判決が起こす混乱は想像に難くない。
まず判決が、新聞社など昔の記事をそのままにしているメディア会社に対してではなく、グーグルに下されたものだということが腑に落ちない。新聞社が削除していればグーグルにも表示されることはないのだが、なぜかグーグルが対象だ。
ということは、たとえグーグルが削除しても、新聞社のアーカイブには記録されているわけだ。だが、インターネットを利用する人々のどれほどがその違いを知っていて、グーグルの検索結果と各メディアサイトのアーカイブを比較するだろうか。
そのためにはちゃんとしたネット・リテラシーと手間が求められるのだが、そこまでやろうという人は限られているだろう。その結果、インターネット上から入手できる情報は、ユーザーによってまだらで不揃いなものになると考えた方がいいだろう。
そもそも、過去に報じられたことは、間違いでもない限り「過去における事実」としてアーカイブに保存され、そうしたアーカイブをいながらにして参照できることが、インターネット時代にわれわれが得たすばらしい特権と学習道具だったはずだ。より向学心があれば、「では現在はどうなっているのだろう」とさらに検索を進めただろう。今回の判決は、アーカイブを掘り起こすグーグル検索の機能を不完全なものにしてしまった。グーグルが今や多数の人々に利用されているという事実を考えると、問題は大きい。
それに、削除を要請してきた人々の言い分に理があるかどうかを、どうやって見極めるのか。犯罪すれすれの社会的悪事を働いた人物が削除要請をしてきた場合、グーグルはそれに従わなければならないのか。あるいは、要請は無効だと突っぱねることができるのか。そうした判断を、グーグルという営利企業に任せていいのか。リンク削除に関しては、現時点では明確なガイドラインがないため、かなりの混乱が発生するだろう。
だが、面白いことも起こっている。
それは、記事が削除されたことについてグーグルがメディア会社に報告し、それによってその記事が新たに陽の目にさらされていることである。
たとえば、これまでわかっているところで、BBC、イギリスの新聞社ガーディアン、デイリー・メールなどが「残念ながら、御社のこれこれの記事を検索結果から削除しました」という自動告知をグーグルから受けたらしい。
そのうちガーディアンは、6つの記事を削除されたのだが、そのこと自体を記事にした。3つの記事は、スコットランドのサッカー・プレミアリーグの審判ダギー・マクドナルドが、ペナルティーの理由を偽って辞任に追い込まれた2010年の事件に関することだ。
同紙は、イギリスとアメリカのグーグルの検索結果を並べ、「このように3記事が削除されています」と比較し、「記事をご覧になりたい方は、どうぞこちらのリンクへ」と過去の記事へ誘導している。こっそり消し去ろうと目論んでいた自分の過去は、これで再び人目を集めることになってしまったわけだ。
BBCのケースでは、無謀な投資によってメリルリンチを破綻の淵に追いやった元CEOスタン・オニールに関するブログ記事へのリンクが検索結果から削除された。そのブログを書いた記者本人がこれを報じて、「パブリック・レコードから私の記事が削除されてしまったが、この記事の内容は不適切、無関係、あるいはすでに無効なのだろうか。フーム」と皮肉っている。この彼の新しい記事によって、読者は昔のできごとを復習することになった。
いろいろなケースがあるだろうが、少なくとも上記2件について小気味よさを感じるのは私だけではないだろう。グーグルも削除したリンクについては、「ヨーロッパでのデータ保護法により、検索結果の一部が削除されているかもしれません」と表示している。また、上記のサッカー審判の記事については、ガーディアン紙からの要請もあってグーグルは検索結果を再び表示している。
ガーディアン紙は、「メディア会社は、報道の自由を阻む間接的な圧力に屈してはならない」と訴えている。ただし、未成年が小さな罪を犯したことを削除すべきかどうかは議論の余地があると言い、それでもそれを議論するのはメディア会社であって、グーグルではないと強調している。もっともな見方だ。
この「忘れられる権利」は、部分的には同感できるものの、現状のままならば大部分において多くの不透明な問題を抱えていると思う。
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