コラム
酒井啓子中東徒然日記
イラクはどこまで解体されるか
6月10日に北部モースルが陥落して以降、イラク分裂の危機が現実性を持って語られるようになった。「イラクとシャームのイスラーム国」(ISIS)勢力は、北はモースルからティクリートまでを、西はファッルージャからバグダードに向かうルートを制圧し、さらに東方のディヤーラ県まで勢力を拡大している。ISISの制圧地域が地理的に「スンナ派地帯」だからというので、「イラクの宗派別分裂」が言われるのだが、事態はより深刻だ。なぜなら、分裂は地理上の問題ではなく、現政府が一つのまとまった国家領域としてのイラクを守ろう、という意思と能力がないことが、露呈されたからだ。
モースルが陥落した際に、これを守るべきイラク国軍はさっさと逃げたと、前回のコラムで述べた。イラク国軍や警察は、イラク国民をではなく、自らの宗派や民族を守ることにばかり、専念しているのだ。それだけではない。マーリキー首相をはじめとして、政府要人たちの間に一丸となって自分たちの国であるイラクを守ろう、という意識が見られない。国会で決定されるべき「非常事態宣言」も、議員の3分の1しか出席せず、決定できなかった。
なによりも気になるのが、与党シーア派政治家たちから「シーア派聖地のナジャフとカルバラを死守せよ」といった発言が聞こえることである。シーア派のサドル潮流は、北部のサマッラー(スンナ派の居住地だがシーア派の聖廟がある)を防衛するために、サドルシティー(バグダード北東部にあるシーア派地区)の住民に向けて、民兵招集の呼びかけをしたようだ。イランから革命防衛隊の支援を期待するといった声も、聞こえてくる。危機に瀕して自分たちの支持基盤しか守ろうとしない現政権や政治家に対して、国民が愛想をつかさないはずはなかろう。
ちなみに、ISIS攻勢のどさくさに紛れて北部のクルド勢力は、現政権下で長らく係争中であるキルクークを手中にいれた。これまた、クルド民族以外のイラク国民を救うよりも 先に、自勢力の利益優先で動いている、露骨な例だろう。
ところで、今危惧されている最悪のことは「イラクが3つに分裂する」ことなのだろうか? 逆である。「聖地を死守せよ」とシーア派の与党勢力が慌てているのは、今やそこまで防衛線が下がっていることの証だ。むしろ危惧されているのは、ISISがさらに南下し、イラク全域を手中に入れることである。それは、シーア派社会全体の殲滅をもたらしかねない。
ISISは、スンナ派のイスラーム主義の組織である。ISISにとってシーア派はイスラーム教徒とは認められない、敵対相手だ。かつてサウジアラビア建国期に、ワッハーブ派勢力がイラクに侵入してシーア派聖地を襲撃した歴史もある。だが、あえて今、シーア派地域まで一気に征服の野望を抱くだろうか?
問題は、今回のISISの進軍には、呉越同舟的にさまざまな勢力が関与しているらしいことだ。なかでも、ISISと連携しているナクシュバンディー教団部隊は、フセイン政権時代のバアス党No.2だったイッザト・イブラヒームが指揮していると言われている。なるほど、ISISがここまで本格的な軍事侵攻を進められた背景には、旧バアス党勢力や、イラク戦争後に解体された旧軍や旧治安機関など、戦闘の元プロが関与していたからだと考えれば、納得がいく。
ISISがスンナ派地域にイスラーム国を建設することを目的としているなら、イラクとシリアのスンナ派地域を制圧したところで、いったんは満足するかもしれない。だが、旧バアス党や旧軍など、旧体制勢力がイラク戦争で奪われた権力を再び取り戻しにやってきたのだとしたら、その目的はイラク全土の奪還にある。与党シーア派政治家は、「旧体制が権力を奪還した統一イラク」になるぐらいなら、「イラクの分裂」を死守すべき、と考えているのだ。
そして、そのためにイランの手も借りざるを得ない、と判断したら、そこで展開されるのは、30年前に旧フセイン政権が戦ったイラン・イラク戦争の再現になるのではないか。しかも、前線をイラク国内に移して、である。
イラクはいったい、どこまで「解体」されるのだろう。イラク戦争前のフセイン政権時代に戻されるのだろうか。イラン・イラク戦争が行われていた80年代か。それとも、イラクとシリアにイスラーム国が成立してオスマン帝国時代の「カリフ制」を再興する、100年前の第一次世界大戦以前にまで、戻そうとするのだろうか。
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