コラム

イスラエルに反対するユダヤ教徒

2010年04月28日(水)22時10分

 現在、カナダ在住ユダヤ教徒の歴史家、ヤコブ・ラブキン教授が日本を訪れている。熱心なユダヤ教徒でありながら、イスラエルのシオニズム思想を厳しく批判する彼の議論が、注目を浴びている。

 彼の主張の核にあるのは、イスラエル建国思想であるシオニズムは宗教的なものではなく、きわめて世俗的なものだ、という点だ。「ユダヤ教の国イスラエル」とのイメージを強く持つ我々には、意外な感もあるだろう。旧約聖書に神がパレスチナの土地をユダヤ教徒に与え賜うた、と書いてあることが、19世紀ヨーロッパで迫害を受けたユダヤ人のよりどころになって、イスラエル建国の理念を生んだ。それをどうして、「イスラエル建国は世俗的」といえるのだろうか。

 ラブキン氏によれば、信仰深いユダヤ教徒のラビの多くは、1948年のイスラエル建国に反対した、という。なぜか。信仰深いユダヤ教徒にとっては、神が約束されたのであれば神が実際に国をくださるまで神を信じて待つべきで、人間が勝手に作ってはいけない、ということになるからである。シオニズム思想は、人間が神の意向を忖度すべきと考える点で、神の不在を前提にしている。

 同様のことは、在米ユダヤ教徒にもいえる。ホロコーストが起きるまで、在米ユダヤ教徒の間でイスラエル建国に反対する意見が強かったことは、案外知られていない。イスラエル国家が「ユダヤ教徒のための国家」として建設されたら、在米ユダヤ教徒はイスラエルに移住するのがスジじゃないか──。そんな「反ユダヤ意識」がアメリカで台頭するのを、彼らは恐れた。ユダヤ教徒のための国家建設という発想は、自分たちのアメリカ社会との共存努力を台無しにしてしまう、と当時の在米ユダヤ人は考えたのである。

 オバマ政権になって、アメリカ国内にも「イスラエルと一線を画そう」と考えるユダヤ教徒が増えている、とラブキン教授はいう。ユダヤ教徒だというだけで、世界中でイスラエルの攻撃的な政策のツケを負わされて白い目で見られ続けるのは、もううんざりだ、と考えるユダヤ教徒は少なくない。イスラエルに振り回されていてはアメリカの国益を損ねる、と主張したのは、2年前に出版されて話題を呼んだ『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』を著したアメリカの国際政治学者、ミアシャイマーとウォルトである。

 3月、久しぶりに中東和平交渉を再開しようとしたオバマ政権は、交渉準備のためにバイデン副大統領がイスラエルを訪問するやいなや占領地への新規入植を決めたイスラエルの強硬姿勢に、ブチ切れた。面子を潰されたバイデン副大統領は激しい口調でイスラエルを非難し、米・イスラエル関係は過去30年で最悪といわれるほど、険悪化した。

 ラブキン教授が指摘するように、イスラエルと海外のユダヤ・ロビーが一枚岩ではない時代が到来しつつあるのかもしれない。

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

NY外為市場=円急落、日銀が追加利上げ明確に示さず

ビジネス

米国株式市場=続伸、ハイテク株高が消費関連の下落を

ワールド

ベネズエラ情勢巡る「ロシアとの緊張高まり懸念せず」

ビジネス

米11月中古住宅販売、0.5%増の413万戸 高金
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開したAI生成のクリスマス広告に批判殺到
  • 2
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 3
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 4
    おこめ券、なぜここまで評判悪い? 「利益誘導」「ム…
  • 5
    ゆっくりと傾いて、崩壊は一瞬...高さ35mの「自由の…
  • 6
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 7
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 8
    【独占画像】撃墜リスクを引き受ける次世代ドローン…
  • 9
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 10
    中国の次世代ステルス無人機「CH-7」が初飛行。偵察…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 9
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    「髪形がおかしい...」実写版『モアナ』予告編に批判…
  • 6
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    高速で回転しながら「地上に落下」...トルコの軍用輸…
  • 9
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 10
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story