コラム

『ブルーノ』はあらゆる人種、党派、宗教をおちょくる無差別お笑いテロ

2009年07月15日(水)12時42分

(筆者注)今回の内容は読者を不愉快にさせる可能性があります。あらかじめおことわりしておきます)

 7月10日金曜日午前0時、バークレーの映画館前は学生たちとマリファナの匂いで満ちていた。今日は『ブルーノ』の公開初日だ。チケットの行列に並んでいるとマリファナが回ってきた。路上だが、誰も気にしない。バークレーとはこういう町なのだ。

『ブルーノ』は、『ボラット/栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』(2006年)に続くサッシャ・バロン・コーエン主演のコメディ映画。コーエンはロンドン出身だが、『ボラット』ではカザフスタン国営テレビのレポーター、ボラットと称してアメリカ各地を取材した。片言の英語で話すコーエンを本当にカザフ人だと信じたアメリカ人たちを、いわゆるCandid Camera(どっきりカメラ)方式で撮影しておちょくった。これが全世界で260億円以上を売り上げるメガヒットになったのだ。

 コーエンは今回、オーストリアのファッション・レポーター、ブルーノを演じる。彼はオーストリアのTV局の取材と称して、またしても素朴なアメリカ人たちをひっかける。

 映画館内は深夜にもかかわらず満席。すでにパブで景気づけしてから来たのだろう、客はノリノリで「We want Bruno!」コールまで沸き起こった。そして上映開始。

 ブルーノは自作のテレビ番組をアメリカに売ろうとする。一般から公募したモニターを招いてのテスト試写。スクリーンいっぱいに拡大されたのはブルーノの......その......なんというか......。その口がパクパク動いてしゃべる! キリスト教徒のために映画を査定するサイト「ムービーガイド」が「この映画は上映禁止にすべきだ」と怒り狂ったのも無理はない。

 客席は大爆笑の連続だったが、途中で何人かの客は憤然と席を立った。酒やハッパでイイ気分で笑いに来た観客すら怒らせる映画なのだ。

 コーエンは『ブルーノ』の撮影でアーカンソー州で「ビールとMMA(総合格闘技)がタダ同然で楽しめます」と書いたビラを配った。会場を埋め尽くした観客は全員、白人ブルーカラー、いわゆるレッドネック。神を愛し、国を愛す素朴な人々。もちろんゲイは大嫌い。My Ass is just for shitと書いたTシャツを着た男までいる。高い金網に囲まれたオクタゴン(八角形)のリングに登場したブルーノは男同士の濡れ場を演じた。たちまち大暴動。しかし、金網の中には入れない。最も憎むべきゲイのラブシーンを無理やり見せられた1人の白人は泣いていた。

 これは『ボラット』のロデオ大会の再現だ。カウボーイ・ハットをかぶった白人ばかりの観客に向かってボラットはマイクでアピールする。「ワタシは、ブッシュ大統領のテロ戦争を支援します!」観客大喝采。「願わくば、ブッシュがイラクの女子どもの生き血を吸い尽くさんことを!」観客大喝采。ボラットはブッシュ政権とその戦争を支持してきたアメリカの保守層を笑いものにした。ブルーノもアメリカの保守層のホモフォビア(同性愛恐怖症)を笑いものにする。

 それだけならリベラルな批評家から「反体制の武器としての笑い」と評価されただろう。ところがブルーノはそんなイイ子ちゃんではなかった。ほとんどすべての宗教、人種、民族、政治的立場を無差別に笑いの標的にしたのだ。

 同性愛者への偏見と戦う団体GLAADは「ブルーノはゲイのイメージを著しく損なう」と、この映画への怒りを表明した。なにしろブルーノは所かまわずクネクネ腰を振り、男と見ると片っ端から触りまくる完全なヘンタイだからだ。

 ブルーノは人気番組『アメリカン・アイドル』の審査員ポーラ・アブドゥルを「あなたがしている慈善活動について聞かせて」と呼び出す。彼女が部屋に入ると、椅子の代わりにメキシコ系の労働者が四つんばいになっている。「人間椅子よ。どうぞ、お座りになって」 ブルーノに言われるままにアブドゥルは貧しい労働者の背中に座り、世界の貧しい人々を救う意義について語らされる。

「ワタシは有名になりたい! だからパリス・ヒルトンみたいにSEXビデオを撮るのよ!」そう思いついたブルーノが相手に選んだのはロン・ポールという去年の大統領候補だった。ポールは共和党所属だが、政治的にはリバータリアンで、同性愛やマリファナ、銃の所持、売春、ポルノなどを政府や法律が縛るべきではなく、基本的に自由に任せるべしという大らかなポリシーだ。彼もオーストリアのテレビ局の取材だと信じてホテルにやってきたが、パンツを脱いだブルーノに迫られて逃げ出す。

 オーストリア駐英大使エミル・ブリックスは自国民に対して『ブルーノ』のボイコットを呼びかけた。『ボラット』の時もカザフスタン政府は怒ったが、オーストリア人の怒りはもっと深刻だ。「ワタシは、オーストリア出身の世界的スターになりたいの。ヒットラー以来の」と言うブルーノは、アラバマ州軍の訓練に参加して「ハイル・ヒットラー!」の敬礼をするのだから。

 コーエン自身は厳格なユダヤ教徒の息子で、イスラエルに留学してユダヤ教を学んだこともある。ところがブルーノはユダヤ人にも容赦しない。イスラエルのハシディム(正統派ユダヤ教徒)の町を股間モッコリのホットパンツで訪問し、群集から殴り殺されそうになる!

 さらにブルーノは「イスラエルのパレスチナ問題を解決すれば有名になれるはずよ」と、イスラエルの特殊部隊モサドのエージェントとパレスチナの過激派ハマスのリーダー(どちらも本物)を同じテーブルに座らせて和解させようとする。しかし言うことがトンチンカン。

「......どうしてユダヤとヒンズーは争うのかしら?」

「ヒンズーじゃなくてイスラムだよ!」

 ブルーノはもっと過激な有名になる方法を思いつく。「テロリストに誘拐されればいいのよ!」とうとう自爆テロの元締め「アル・アクサ殉教団」のアジトに入り、リーダーと対峙する。「あなたたちの好きなオサマ・ビン・サディンさんはどうしてホームレスのサンタクロースみたいなの?」

 スタントマンより命がけ、虎の尾を踏む男サッシャ・バロン・コーエン。ここまでやると笑いを通り越した無差別テロだ。

『ブルーノ』を観て、かつてビートたけしが言った「お笑いとは逃げることだ」という言葉を思い出した。

「みんなが怖がってる奴をからかって逃げる」それがお笑いの基本精神だと。コメディアンの敵は権力だけじゃない。評論家が、文化人が、「反体制」だの「反権力」だのと評価して正義のワクにハメようとする。世間や普通の人々が、「彼は本当はイイ人」だの「本当は家族を愛するパパ」だのと言って自分と同じ普通人に引きずり下ろして安心しようとする。そんなワクにつかまりそうになったら、そのワクを壊して逃げなければ。『ブルーノ』にはそんな自爆テロにも似た意地を感じる。

『ブルーノ』でたったひとつ自粛されたのはマイケル・ジャクソンの姉、ラトーヤ・ジャクソンの出演シーンだ。ブルーノはラトーヤの携帯電話を奪ってマイケルに直接電話しようとするのだが、マイケル急死のため、シーンは削除された。まあ、DVDで蘇るだろうけどね。

プロフィール

町山智浩

カリフォルニア州バークレー在住。コラムニスト・映画評論家。1962年東京生まれ。主な著書に『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』(文芸春秋)など。TBSラジオ『キラ☆キラ』(毎週金曜午後3時)、TOKYO MXテレビ『松嶋×町山 未公開映画を観るテレビ』(毎週日曜午後11時)に出演中。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ネパール首相が辞任、反汚職デモ隊と警察の衝突続く

ビジネス

アングル:石破首相退陣、経済運営に不確実性 重要度

ワールド

韓国、チャーター機派遣へ 米移民当局の一斉摘発

ビジネス

アングロ・アメリカン、加テック・リソーシズと経営統
MAGAZINE
特集:世界が尊敬する日本の小説36
特集:世界が尊敬する日本の小説36
2025年9月16日/2025年9月23日号(9/ 9発売)

優れた翻訳を味方に人気と評価が急上昇中。21世紀に起きた世界文学の大変化とは

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 2
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 3
    エコー写真を見て「医師は困惑していた」...中絶を拒否した母親、医師の予想を超えた出産を語る
  • 4
    石破首相が退陣表明、後継の「ダークホース」は超意…
  • 5
    世論が望まぬ「石破おろし」で盛り上がる自民党...次…
  • 6
    ドイツAfD候補者6人が急死...州選挙直前の相次ぐ死に…
  • 7
    もはやアメリカは「内戦」状態...トランプ政権とデモ…
  • 8
    「ディズニー映画そのまま...」まさかの動物の友情を…
  • 9
    ロシア航空戦力の脆弱性が浮き彫りに...ウクライナ軍…
  • 10
    金価格が過去最高を更新、「異例の急騰」招いた要因…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニングをする女性、異変を感じ、背後に「見えたモノ」にSNS震撼
  • 3
    眠らないと脳にゴミがたまる...「脳を守る」3つの習慣とは?
  • 4
    【クイズ】世界で唯一「蚊のいない国」はどこ?
  • 5
    【動画あり】9月初旬に複数の小惑星が地球に接近...…
  • 6
    「あのホラー映画が現実に...」カヤック中の男性に接…
  • 7
    「生きられない」と生後数日で手放された2本脚のダ…
  • 8
    50歳を過ぎても運動を続けるためには?...「動ける体…
  • 9
    「よく眠る人が長生き」は本当なのか?...「睡眠障害…
  • 10
    「稼げる」はずの豪ワーホリで搾取される日本人..給…
  • 1
    「4針ですかね、縫いました」日本の若者を食い物にする「豪ワーホリのリアル」...アジア出身者を意図的にターゲットに
  • 2
    「自律神経を強化し、脂肪燃焼を促進する」子供も大人も大好きな5つの食べ物
  • 3
    「まさかの真犯人」にネット爆笑...大家から再三「果物泥棒」と疑われた女性が無実を証明した「証拠映像」が話題に
  • 4
    信じられない...「洗濯物を干しておいて」夫に頼んだ…
  • 5
    「レプトスピラ症」が大規模流行中...ヒトやペットに…
  • 6
    「あなた誰?」保育園から帰ってきた3歳の娘が「別人…
  • 7
    将来ADHDを発症する「幼少期の兆候」が明らかに?...…
  • 8
    プール後の20代女性の素肌に「無数の発疹」...ネット…
  • 9
    「怖すぎる」「速く走って!」夜中に一人ランニング…
  • 10
    「死ぬほど怖い」「気づかず飛び込んでたら...」家の…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story