コラム

21世紀にマルクスはよみがえるか

2014年05月07日(水)18時23分

 今アメリカで、マルクスがブームになっている。『21世紀の資本論』と題する700ページ近い専門書がアマゾン・ドットコムのベストセラー第1位になり、フランス人の著者トマ・ピケティがワシントンにやって来ると、ロック・スター並みの聴衆が集まった。

 保守派は「マルクスの本がベストセラーになるのは、アメリカの歴史はじまって以来の危機だ」と警戒し、リベラル派の経済学者、ポール・クルーグマンは「ピケティは不平等の統一場理論を発見した」と絶賛した。それはこの本がマルクスと同じく、世界で所得分配の不平等が拡大している事実を明らかにし、その原因が資本主義にあると主張しているからだ。

 1970年から2010年までにアメリカの賃金の中央値(メディアン)はほとんど同じだが、上位1%の人々の所得は165%増え、GDP(国内総生産)の20%を超えた。このような格差の拡大は一時的な問題だと思われ、戦後ずっと多くの国で所得分配は平等化しているとされてきたが、ピケティのチームは過去300年の各国の税務資料を調査した結果、戦後の一時期を除いて格差は拡大してきたという事実を明らかにした。

 次の図のように、不平等度(資本収益の所得に対する比率)は、ヨーロッパでは20世紀の初めには今のアメリカと同じぐらい高かった。それが1910年以降、下がったのは、二度の世界大戦と大恐慌で資本が破壊されたためだ。特に海外投資が植民地の独立によって失われたため、戦後ヨーロッパの資本分配率は下がり、アメリカより平等になった。70年代までの平等化の時代は例外だったのだ。

newgraphic.jpg
出所:"Capital in the Twenty-First Century"


 ピケティはこの原因を資本蓄積の増加に求め、次のような資本主義の根本的矛盾を示す:gを成長率、rを資本/所得比率とすると、r>gとなると資本収益のシェアが高まる。それを投資することで資本蓄積が増えて資本分配率が上がり、さらに不平等化が進む。

 世界の歴史を通じてrはおおむねgより大きいが、税引き後でみると両大戦の時期だけr<gになっている。ヨーロッパではアメリカほど資本蓄積が進まなかったので、分配は平等で戦後の成長率は高かった。資本収益率が成長率より低いと、分配は平等化して成長率は高まる。

 戦争に負けて資本が破壊された日本とドイツの成長率が高かったのも、資本ストックが英米の水準に追いつく過程と考えれば不思議な現象ではない。日本の場合は、一人あたりGDPがイギリスに追いついた段階で成長が止まり、90年代にバブルが崩壊した。それ以降、新興国の参入で世界の成長率が上がったが、これも資本蓄積が進むにつれて逆転し、不平等化が進むだろう。

 このような資本過剰は、人口が減少して成長率の下がる国でもっとも顕著にあらわれる。その例が日本である。第二次大戦後、欧米の水準にキャッチアップする過程ではg>rだったが、80年代に逆転した。90年代にはバブル崩壊で成長が止まり、r>gになって企業の貯蓄超過が起こり、賃金が下がった。

 このような所得格差を経済学では「労働生産性の差が所得格差になる」と説明してきたが、ピケティも指摘するように、これは単純労働にしか当てはまらない。ルパート・マードックが年収2500万ドルもらっているのは、彼が平均的な労働者の1000倍働いているからではなく、彼が自分の所得を自分で決めることができるからで、その子の所得が高いのは親の財産を相続できるからだ。

 日本では、別の形で資本過剰による不平等が拡大している。2000年代に入って名目賃金が下がり続け、非正社員の比率が労働者の4割に近づく一方、企業は貯蓄超過になっている。余剰資金は資本家にも労働者にも還元されないで、経営者の手元現金(利益剰余金)になっているのだ。資金を借りて事業を行なうための企業が、リスクを取らないで貯蓄していることが日本経済の萎縮する原因であり、デフレはその結果にすぎない。

 では、この格差を是正するにはどうすればいいのか。フランス社会党員であるピケティは「グローバルな資本課税」を提言するが、これに賛成する人はほとんどいない。先進国が一致して増税することは政治的に不可能であり、望ましくもない。しかし課税の中心を所得から富に移し、その課税ベースを広げるべきだという彼の主張は合理的である。

 マルクスの『資本論』がドイツで1867年に自費出版されたとき、1000部売れるのに5年かかり、英訳されるのに20年かかった。その本が20世紀の歴史を(よくも悪くも)変える絶大な影響力をもったことを考えると、21世紀の『資本論』が全米ベストセラーになったことは、大きな意味をもつかもしれない。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ロシアがICBM発射、ウクライナ空軍が発表 初の実

ワールド

イスラエル軍、ガザ北部の民家空爆 犠牲者多数

ビジネス

米国は以前よりインフレに脆弱=リッチモンド連銀総裁

ビジネス

大手IT企業のデジタル決済サービス監督へ、米当局が
MAGAZINE
特集:超解説 トランプ2.0
特集:超解説 トランプ2.0
2024年11月26日号(11/19発売)

電光石火の閣僚人事で世界に先制パンチ。第2次トランプ政権で次に起きること

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱が抜け落ちたサービスの行く末は?
  • 2
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り捨てる」しかない理由
  • 3
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対する中国人と日本人の反応が違う
  • 4
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 5
    「ワークライフバランス不要論」で炎上...若手起業家…
  • 6
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 7
    習近平を側近がカメラから守った瞬間──英スターマー…
  • 8
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 9
    NewJeans生みの親ミン・ヒジン、インスタフォローをす…
  • 10
    【ヨルダン王室】生後3カ月のイマン王女、早くもサッ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国」...写真を発見した孫が「衝撃を受けた」理由とは?
  • 4
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 5
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 6
    ロシア陣地で大胆攻撃、集中砲火にも屈せず...M2ブラ…
  • 7
    アインシュタイン理論にズレ? 宇宙膨張が示す新たな…
  • 8
    建物に突き刺さり大爆発...「ロシア軍の自爆型ドロー…
  • 9
    沖縄ではマーガリンを「バター」と呼び、味噌汁はも…
  • 10
    クルスク州の戦場はロシア兵の「肉挽き機」に...ロシ…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大きな身体を「丸呑み」する衝撃シーンの撮影に成功
  • 4
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    秋の夜長に...「紫金山・アトラス彗星」が8万年ぶり…
  • 7
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 8
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 9
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
  • 10
    モスクワで高層ビルより高い「糞水(ふんすい)」噴…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story