コラム

製造業の「六重苦」を生み出す民主党政権のモラルハザード

2012年03月30日(金)11時56分

 製造業の危機が深刻化している。半導体大手のエルピーダメモリが会社更生法の適用を申請したほか、ソニーやパナソニックなど家電大手がそろって大幅な赤字を出し、シャープは台湾の鴻海精密工業が筆頭株主になると発表した。こうした苦境の原因として財界がよく指摘するのが「六重苦」と呼ばれる次のような問題である。

1.円高
2.過剰な雇用規制
3.高い法人税
4.強い温室効果ガス規制
5.自由貿易協定の遅れ
6.電力供給の不安

 このうち、1を除く5つの問題の原因は同じである。民主党政権のアンチ・ビジネスの政策だ。その典型が、3月23日に閣議決定された労働契約法の改正案である。これは、有期契約労働者が同じ職場で5年を超えて働いた場合、本人が希望したら無期雇用(正社員)に転換することを義務づけるものだ。これまで民主党政権は派遣労働の禁止などの規制を強化してきたが、今回の改正案は、これを契約社員などの有期雇用全体に広げるものだ。

 この法改正で、契約社員の待遇は改善されるだろうか。現在は雇用契約は3年までで何回でも更新できるが、5年を超えて雇用すると正社員にしなければならないと、企業は4年11ヶ月で雇い止めするだろう。かつて派遣労働者を3年雇用したら正社員にしなければならないという「3年ルール」で、2年11ヶ月で雇い止めされる派遣労働者が増えたのと同じである。契約社員は、もっと身分の不安定なアルバイトになるだけだ。

 問題は、このような非論理的な政策がなぜ次々に出てくるのかということだ。よくある説明は労働組合の圧力だという話だが、これでは上の4から6は説明できない。合理的に説明できるのは、選挙対策という理由だろう。早ければ6月にも衆議院の解散・総選挙があるが、今度の選挙では民主党は大幅に議席を減らすと予想されている。惨敗すると、政権を失うだけでなく、民主党が分裂するおそれも強い。

 もともと組織票の弱い民主党は、マスコミを味方につけないと勝てない。また「政治主導」と称して霞ヶ関を敵に回したため、情報がマスコミ経由でしか入ってこないので、民主党の政策はマスコミ受けをねらうポピュリズムが多い。かわいそうな派遣労働者や契約社員を禁止すれば、彼らは姿を消すのでマスコミも取材しなくなるだろう。原発を止めておけば、マスコミが放射能の恐怖をあおることもできない。

 他方、六重苦に苦しむ製造業は日本から脱出する。高収益企業ほど海外売り上げや海外生産の比率が高いので、日本の政策の影響を受けにくい。彼らは日本の政治に何も期待していないので、マスコミにも発言しない。その結果、マスコミに出てくるのは、日本に残る低収益企業と「茶の間の声」だけになる。彼らには世界のビジネスは見えないので、業界や正社員の既得権を守る規制は快い。

 このように民主党政権は、短期的なメリットの見えやすい政策で票を買い、その長期的な(わかりにくい)悪影響のコストを多くの国民に薄く広く負担させているのだ。このような行動をモラルハザードと呼ぶ。これを「倫理の欠如」と訳すのは誤訳で、これは不道徳なことをしているのではなく、情報の非対称性を利用して利益を上げる合理的な行動である。

 本質的な問題は、政治もマスコミもいない人の声を代表することはできないということだ。日本の政策が既存企業の意見ばかり聞いて外資やベンチャー企業を排除するバイアスがあることはよく指摘されるが、いま起こっているのは、日本からいなくなった高収益企業や日本を脱出した(付加価値の高い)労働者の意見も聞こえなくなるという現象だ。

 国内に残っている企業と高齢者の声だけ聞いていれば、さしあたり現状は維持できるが、経済は行き詰まり、既得権から排除される若い世代の生活はますます不安定になる。その結果、10年以内に破局的な事態が来ることも予想されるが、そのときには民主党は(存在するとしても)政権にはいないだろう。意識しているかしていないかは別にして、彼らは合理的に行動しているのである。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

イスラエルがイラン再攻撃計画か、トランプ氏に説明へ

ワールド

プーチン氏のウクライナ占領目標は不変、米情報機関が

ビジネス

マスク氏資産、初の7000億ドル超え 巨額報酬認め

ワールド

米、3カ国高官会談を提案 ゼレンスキー氏「成果あれ
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 2
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦い」...ドラマ化に漕ぎ着けるための「2つの秘策」とは?
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 6
    70%の大学生が「孤独」、問題は高齢者より深刻...物…
  • 7
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 8
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 9
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 10
    週に一度のブリッジで腰痛を回避できる...椎間板を蘇…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 9
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 8
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story