コラム

TPPの空騒ぎを仕掛けているのは誰か

2011年10月27日(木)16時39分

 永田町では、TPP(環太平洋パートナーシップ)をめぐる騒動が盛り上がってきた。全国農業協同組合中央会は25日、TPP反対請願を衆参両院議長に提出したが、この請願書には「紹介議員」として与野党の356人の氏名が記載されている。民主党では「TPPを慎重に考える会」が国会議員199名の署名を集め、自民党の谷垣総裁も慎重姿勢を見せ、公明党は反対の姿勢を表明した。

 以前のコラムでも書いたように、TPPの農業への影響はGDP(国内総生産)の数百分の一。環太平洋の自由貿易圏を構築することは1990年代からの既定方針で、今さら国を挙げて議論するような問題ではない。不可解なのは、こんな小さな経済問題がこれほど大きな政治問題になるのはなぜかということだ。

 よくいわれるのは「農村票は固いので、数が少なくても政治家は恐い」とか「1票の格差が農村に有利になっている」という話だが、農家は人口の3%に満たない。しかもその7割以上は兼業農家で、「休日に農作業もするサラリーマン」にすぎない。地方の選挙区でも都市部の票が圧倒的に多く、都市住民の支持を得られない候補は勝てない。

 問題は「農民」の票ではなく、「農協」の政治力である。1994年のウルグアイラウンドでは農水族議員を動員して6兆円の「つかみ金」を獲得し、そのほとんどは農業補助金などの形で農協に流れた。こうした豊富な資金力と、長年の自民党とのつきあいで培った人脈で、農協は政治団体として最大のパワーを保っている。

 農協が強いもう一つの原因は、金と暇があるということだ。農薬や農業機械の普及で農作業にかける時間は減り、農家の所得も(補助金のおかげで)非農業世帯より高い。だから農協が動員をかけると全国から集まり、農水省や議員会館で何週間もデモを続ける。それがたとえ人口の1%の代表であっても、毎日押しかけられると、政治家は何らかの対応をせざるをえない。

 農業は衰退産業だが、規制と補助金で手厚く守られているので、農業に力を入れるよりも政治家に圧力をかけて補助金を引き出すほうが収益性が高い。このように衰退産業を政治的に保護すると、人材がレント・シーキング(利権追求)に集まって本業がおろそかになり、さらに衰退する・・・という悪循環に入ってしまう。

 この騒ぎを仕掛けている黒幕は、農水省である。TPPについて農水省は「GDPの1.6%が失われる」という誇大なシミュレーションを発表し、「食糧自給率が13%に低下する」と危機感をあおっている。農協はこの数字を利用して「日本の食が危ない」というキャンペーンを張っている。WTO(世界貿易機関)でも相手にされていない「食糧安全保障」という農水省の造語が、既得権の隠れ蓑に利用されているのだ。

 農水省の今年度予算は2兆2000億円。農業以外のすべての産業を所管する経産省の3倍近いが、彼らにはもう仕事がない。終戦直後には、農水省には食糧の調達と分配という重要な業務があったが、今は農業補助金は農協の運転資金になっているだけだ。かりに明日、農水省を廃止したとしても、農業には何の支障もない。

 だから農水省は農業団体をけしかけて「農業問題」を演出し、政治家は反対したふりをして農協の歓心を買おうとする。現実には日本政府が交渉参加を拒否する選択肢はありえないので、何らかの形で「つかみ金」が出るだろう。この田舎芝居は、彼らが日本経済を食いつぶすまで繰り返されるのだろうか。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story