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コラム
池田信夫エコノMIX異論正論
「東京ドーム23杯分」の除染は本当に必要なのか
環境省は、福島第一原発事故で放射性物質に汚染された土壌を除去する作業の試算結果を検討会で示した。福島など5県で追加的な被曝線量が年間5ミリシーベルト以上の地域を除染する場合、必要な面積は最大で2419平方キロメートル、福島県の17.5%に当たる。表土を5センチメートルはぎ取るとすると、除去する土壌の量は最大で2879万立方メートル、東京ドーム23杯分に相当する。
しかし、この計画は財政的に実現不可能だ。1979年から行なわれているカドミウムの除染は1630ヘクタールで8000億円かかったが、今回の除染面積はその148倍だから、118兆円以上かかる。年間5ミリシーベルトという基準は、何を根拠にしているのかよくわからないが、国の年間放射線量限度は、緊急時には20~100ミリシーベルト、平時には1ミリシーベルトである。これはICRP(国際放射線防護委員会)が1958年に決めた基準に準拠しているが、これには科学的根拠がない。
そもそも日本の自然放射線量は全国平均で1.5ミリシーベルト、世界の平均は2.4ミリシーベルトであり、1ミリシーベルトというのは自然界の放射線量を下回る。これは原子力施設の中の放射線を管理する基準であり、人々が避難したり帰宅したりする基準ではないのだ。1ミリシーベルト以上の放射線は全国どこにでもあるので、これを基準にすると全国の土を除染しなければならない。
多くの放射線医学の専門家が提唱する放射線の安全基準は、年間100ミリシーベルトである。広島や長崎の被爆者を調査した近藤宗平氏や高田純氏は、「100ミリシーベルト以下の被曝量で発癌率が増えた統計的証拠はない」として、ICRP基準を強く批判している。たとえば45℃を超える熱湯に手を入れるとやけどするが、それ以下の温度なら問題ないように、放射線の影響にも閾値があるというのが多くの科学者の意見だ。
これに対してICRPは「100ミリシーベルト以下でも放射線の量に比例して発癌率が増える」というLNT仮説(線形閾値なし仮説)にもとづいて、科学的な根拠のない20ミリとか1ミリという基準を設定している。これについては世界の専門家の批判が強いが、IAEA(国際原子力機関)も日本政府も「科学的に決着がついていないので安全側に立つ」という立場を変えていない。
もちろんコストがかからないのなら、安全基準はきびしければきびしいほどいい。しかし100兆円以上の除染費用を出すことは不可能だから、現実には政治的妥協がはかられるだろう。このとき「足して二で割る」ような基準をつくっても、被災者は不安になるばかりだ。年間100ミリシーベルトを基準にすれば、原発の敷地以外はほとんど除染の対象にならないだろう。
最大の問題は、8万人以上の原発の周辺住民が、もう半年以上も不便な避難生活を強いられていることだ。1986年のチェルノブイリ原発事故では、強制退去を命じられた20万人が家を失い、1250人が自殺した。旧ソ連以外の欧州でも10万人から20万人が妊娠中絶したと推定されている。チェルノブイリ事故についての多くの報告書で共通に指摘されているのは、最大の被害は放射能の恐怖や長期にわたる避難のストレスによる精神疾患だということである。
科学的根拠のない安全基準で必要もない避難生活を長期にわたって強制することは、被災者の生活をさらに悪化させ、風評被害を拡大するだけで、健康被害の防止にはつながらない。被災者の帰宅は、彼らの自由意思にゆだねたほうがよい。除染も年間5ミリシーベルトなどという無意味な基準で行なうのではなく、安全基準についての科学的な議論を徹底的に行なうべきだ。
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