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コラム
池田信夫エコノMIX異論正論
「イタリア化」する日本
辞めそうで辞めない首相が国民をいらだたせているが、本人はいたって意気軒昂・・・といっても日本のことではない。イタリアのベルルスコーニ首相は、収賄、詐欺、未成年者との売春などの容疑で十数回も訴訟を起こされているが、3度にわたって合計8年半も政権の座にある。これは戦後のイタリアでは最長記録で、イタリアは彼以外の首相が短命なことでもよく知られている。菅氏は戦後26人目だが、ベルルスコーニ氏は38人目だ。
共通点は他にもある。2000年代の実質経済成長率は、OECD諸国の中でイタリアが最下位で、日本は下から2番目だ。政府債務のGDP(国内総生産)比は、日本が最大でイタリアは第2位である。こういう状況になっても政府は問題の先送りを続け、いっこうに財政再建が進まないのも同じだ。
この原因も似ている。労働生産性はG7諸国の中でイタリアが最低で、日本は下から2番目だ。労働市場が硬直的で解雇が事実上できず、大企業と中小企業の「二重構造」が残っている。既得権によって競争が阻害されているため新規参入が少なく、リスクマネーの調達が困難で投資が起こらない。司法制度が機能していないので、問題を法的に解決できないため談合がはびこる。大学教育の質が悪く、人材が育たない。
ただ、違う面も多い。日本のインフラの品質は世界一だが、イタリアは世界最悪だ。私はローマに滞在したとき、インターネット接続が1日以上切れているので、ホテルのフロントに言うと「こっちも切れている」と肩をすくめるばかりで何もしない。通信会社に言っても無駄だと知っているからだ。先日、イタリアは国民投票で「脱原発」の意思を表明したとき、市民が「あの日本で原発事故が起こるのだから、イタリア人に管理できるはずがない」とコメントしていた。
最大の違いは、日本の国民が政治の混乱に怒っているのに対して、イタリア人があまり気にしていないことだ。イタリアでは戦後ずっと混乱が続いてきたので、政治とはこんなものだと思っているのだ。むしろそれまでの短命政権よりもベルルスコーニのほうが長期政権で安定しただけましだという評価さえある。イタリアでは彼のように「ずるい」タイプが尊敬され、正直者はバカにされるのだという。
経済は貧しいがローマの街は美しく、スパゲティはおいしい。製造業はまったくだめだが、ファッションではイタリアは世界の中心だ。人々の音楽や芸術への情熱は強く、著作権法が機能していないので、イタリアでは海賊版の映画やビデオがウェブで見放題だ。人々はみんな明るく、男性は若い女性にはすぐ声をかけ、女性は果てしなくおしゃべりしている。日本の自殺率はOECD諸国で最高だが、イタリアは最低である。
これはたぶんイタリア人が、衰退に慣れているからだろう。日本人は戦後ずっと高度成長を続けてきたので、明日は今日より貧しくなるという生活になじめないが、イタリアの最盛期は古代ローマ帝国で、そのピークを超えることはできない。近代初期にもフィレンツェなどの都市国家が繁栄したが、その後は衰退の一途だ。戦後もずっと成長率は欧州のどん尻で、最近はマイナス成長である。
日本も、イタリアに近づいてきたように見える。今の若い世代は不況しか知らないので、成長しようという意欲のない「草食系」だ。目標が低いと現実もそう悪くは見えないので、政治に対する関心もほとんどない。テレビは見るが新聞は読まず、圧倒的に大きな情報源はケータイだ。メールやゲームなど、身近なコミュニケーションと金のかからない娯楽に熱中している。
「幸福度」とGDPにはあまり相関がなく、イタリアのように貧しくても幸福な国もあれば、豊かでも不幸な国もある。人間の目標が富ではなく幸福だとすれば、これからゼロ成長(あるいはマイナス成長)が続くと予想される日本は、金を使わないで生活を楽しむ知恵をイタリアに学ぶ必要があるのかもしれない。菅氏がベルルスコーニ氏に似てきているのは、もしかすると日本が「イタリア化」する兆しだろうか。
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