コラム

被災者を人質にとって東電株主を救済する「賠償枠組」

2011年05月11日(水)21時45分

 政府は福島第一原発事故による東京電力の損害賠償支払いについての枠組を決め、13日にも閣議決定する予定だ。これは被災者への補償を急ぎ、東電の今年3月期決算の発表に間に合わせるためというのが建て前だが、被災者の仮払いはすでに始まっており、東電の決算は延期すればよい。このように拙速に最大10兆円ともいわれる賠償の枠組を決めることには疑問がある。

 枠組の前提として、原子力損害賠償法に定める1200億円以上の損害を国が負担するかどうかが問題だが、政府は「東電の賠償に上限なし」という条件を出し、東電はそれを受諾した。これは東電の賠償が青天井になっても、国が面倒を見る救済案との取引である。資産売却や人件費圧縮など数百億円の「リストラ」と引き替えに数兆円の公的資金で救済してもらえるなら、安いものだ。

 この救済案は当コラムで私も批判したが、経済学者も法律家も一致して反対してきた。「政府による9000億円の救済」といわれた日本航空でさえ、会社更生法で株式をすべて減資したのに、今回は特別法で東電を丸ごと救済するというのだから、異常といわざるをえない。その理由として政府があげるのが「法的整理を行なうと被災者への補償ができない」という理屈である。

 会社更生法を適用すると、多くの債権者に対する東電の債務がいったん凍結される。債務は管財人によって優先順位をつけて返済され、返済できない債務はカットされる。通常の破産手続きでは、最優先されるのは税や事務所賃料など、会社更生手続きと事業継続に必要な債権で、その次に担保などの優先権のついた債務が返済され、一般の債権はもっとも優先順位が低い。そして株式は100%減資されて紙屑になるのが普通である。

 問題は、この債務整理の中で、被災者の東電に対する損害賠償請求権が担保のない一般債権と位置づけられていることだ。東電の場合、社債は担保つきなので、損害賠償はそれに劣後することになる。つまり法的整理を行なうと、被災者への補償が大幅にカットされる、というのが表向きの理由だ。

 しかしこの論理については、多くの法律家が疑問を表明している。現実の破産手続きでは債権の優先順位は固定的ではなく、担保がなくても人権にかかわる債権は優先されることがある。どうしても損害賠償請求権を優先させたければ、政府が賠償を立て替える基金をつくって東電に請求すれば、政府の債権は最優先となるので、法的整理を行なっても損害賠償請求権は守れる。

 本当の理由は、被災者ではないのだ。海江田万里経済産業相は、国会答弁で「東京電力というのは93万人株主がいらっしゃって、その中には本当にお年寄りの方でずっと東京電力の株を持っている・・・」と個人株主を持ち出して同情を引こうとしたが、東電の株主の56%は法人であり、最大の株主は銀行である。

 銀行は事故後にも、2兆円の緊急融資で東電を支援した。ここで彼らの保有する株式が減資され、債権もカットされるとなると、今後の融資には応じられないというのが彼らの立場だ。しかし銀行はプロである。緊急融資の時点で東電が破綻するリスクは知っていたはずだから、その債権がカットされるのは当然だ。いやなら他の銀行から借りればいいし、新会社が株式を発行してもいい。

 会社更生法は、まさにこうした利害関係を法的に整理するための法律である。それを適用しないで、東電の損失を「奉加帳方式」で他の電力会社にも負担させ、債権を丸ごと保全すると、莫大な債務で東電の経営が破綻するばかりでなく、政府の裁量で数千億円の金が動くためロビー活動が激しくなり、国会は大混乱になる。政治力にたけた電力会社は損害を電気料金に上乗せし、利用者に転嫁するだろう。

 政府にとっても財政支出はいやなので、悪役を電力会社に押しつけ、被災者のためという理由で料金に転嫁させるのが賢明である。要するに、関係者が自分の立場を有利にするために被災者を人質にとって資本主義のルールを曲げ、株主の責任を問わないで小手先のリストラでごまかそうとしているのだ。

 しかし閣議決定しても、国会はねじれているので、参議院で野党が反対したらこの救済案は通らない。自民党の河野太郎氏は「東電で倒閣」を宣言しており、救済案は国会で行き詰まるおそれが強い。これによって菅内閣が倒れれば、救済案の功績は大きいかもしれない。

プロフィール

池田信夫

経済学者。1953年、京都府生まれ。東京大学経済学部を卒業後、NHK入社。93年に退職後、国際大学GLOCOM教授、経済産業研究所上席研究員などを経て、現在は株式会社アゴラ研究所所長。学術博士(慶應義塾大学)。著書に『アベノミクスの幻想』、『「空気」の構造』、共著に『なぜ世界は不況に陥ったのか』など。池田信夫blogのほか、言論サイトアゴラを主宰。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上

ワールド

ガザ支援搬入認めるようイスラエル首相に要請=トラン
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 7
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 8
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 9
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 7
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story