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コラム
池田信夫エコノMIX異論正論
電子書籍で繰り返される「マーフィーの法則」
NTTドコモと大日本印刷(DNP)は8月4日、携帯端末向けの電子出版ビジネスで業務提携すると発表した。他方、DNPは凸版と共同で「電子出版制作・流通協議会」をつくり、電子書籍の標準化を進め、総務省・文部科学省・経済産業省は電子出版の「中間フォーマット」を標準化する懇談会を設置した。
日本でもようやく電子出版の動きが本格化したのは結構なことだが、商品が出る前から「協議会」やら「懇談会」やらが乱立して、「標準化」の話ばかり行われるのは奇妙な風景である。日本の著作権法では、出版社にも印刷会社にも著作隣接権はないのだが、いったいどこの社がリスクを負って著者と交渉するのだろうか。
アップルやアマゾンは懇談会もつくっていないし、標準化を呼びけかけてもいない。まして役所の助けを借りてもいない。アマゾンは、電子書籍の市場がほとんどない時期に「キンドル」を開発し、その採算性を疑問視する業界の声を無視して電子書籍の価格を紙の本の半分にし、赤字営業で販売を増やしてきた。その結果、アマゾンで売れた電子書籍の冊数は、ハードカバーの1.43倍になったという。
電子書籍のように市場があるかどうかわからないときは、一つの企業が大きなリスクを負担してインフラからコンテンツまで「垂直統合」でやるしかない。ばらばらにやると、コンテンツが出てこないとインフラが売れず、インフラが売れないとコンテンツも出てこない・・・という悪循環に入ってしまうからだ。
「閉鎖的だ」と批判の多いアップルのやり方も、そういう批判を受けるリスクまで含めてアップルが責任をもってやっているということだ。日本のようにいろいろな会社の協議会でやると、どこの技術でやるか、ライセンス料はどうするかなどで話し合いがつかず、商品が出るまで何年もかかる。みんなの合意できる規格でやると、当たりさわりのない平凡なデザインになることが多い。
電子書籍の官民懇談会では、シャープのXMDFという規格を中間フォーマットにして国内標準をつくろうということになっているが、何のために標準化するのかわからない。電子ファイルの規格としてはPDF、電子書籍の規格としてはEPUBという方式が事実上の国際標準になっており、それとは別の規格をつくっても世界市場では通用しない。印刷業界の本当のねらいは、独自フォーマットで囲い込んでアップルやアマゾンの日本進出を阻止したいということだろう。
私は3年前に、IT業界の「マーフィーの法則」を提唱した。それは次のようなプロジェクトは必ず失敗するという経験則だ。
1.最先端の技術を使い、これまで不可能だった新しい機能を実現する
2.NTTや日立など、多くの大企業が参入し、大規模な実証実験が行なわれる
3.数百の企業の参加するコンソーシャムによって標準化が進められる
4.政府が「研究会」や「推進協議会」をつくり、補助金を出す
5.日経新聞が特集を組み、野村総研が「2010年には市場が**兆円になる」と予測する
電子書籍には、上の特徴がほとんど当てはまる。しいて違いをいえば、最先端の技術を使っていないことぐらいだろう。「こんなに多くの大企業も役所も一致しているのだから、成功するだろう」というのは逆で、むしろ多くの企業が参加すればするほど合意は困難になり、意思決定は遅くなり、失敗する確率は高くなる。最近では、多くの企業が参加した「電子マネー」がその一例だ。
電子出版というのは、甘いビジネスではない。コンテンツの価格がゼロに近づくインターネットの世界では、徹底したローコスト・オペレーションでないと採算は取れない。電子化の物理的コストはゼロに近いので、ほとんどは人件費である。年収1000万円の高給サラリーマンが1点ずつ電子化交渉をやっていては、とても黒字は出ない。
必要なのは協議会でも標準化でもなく、まったく新しい発想でリスクを取る中核企業である。電子マネーがこけたあと、ソニーの「フェリカ」が成功したように、おそらく本当の電子書籍が出てくるのは、電子書籍ブームが終わったあとだろう。
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