コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
北京の夢
「ぼく、仕事辞めたよ。大連に行くことにした」
劉くんがぼそっと言った。まさか、と思いつつ、「旅行?」と尋ねたら、「ううん、水曜日に引っ越すんだ。別に持っていくものもないんだけど」と答えた。それを聞いて「やっぱり...」と心のなかでつぶやきつつも、何を言っていいのか思いつかず言葉が出てこなかった。
言葉が見つからなかったのは、劉くんには申し訳ないが、彼が北京からいなくなることがショックだからではなかった。だが、「キミまでもが!」という思いが先走ったからだ。彼自身に何があったのか尋ねる前に、頭のなかを今年すでに北京を離れた知り合いの、さらにそのまた知り合いたちの顔が走馬灯のように横切った。その数をあとで指折り数えたら、もう10人近くもいた。
もちろん、彼らが北京を離れた理由はそれぞれだ。任期切れ、あるいは担当していたプロジェクトが終わった、あるいは結婚、転職など、直接の理由だけを見ると、これほどまでに知り合いが北京を離れていったのは「ただの偶然」だ。だが、そのうち数人と話をしてみると、北京を離れる決意をするためにその理由を「後押し」した背景が必ずと言っていいほど共通していた。
「空気悪いしね、このまま体調不良になるよりかいいかな、と思って」。2年ほど前までは北京の大気汚染はそれでもまだ冬のみに限られていた、と多くの人たちが記憶している(数値的には実際はそうじゃなかったようだが)。だが、今年は長い冬が開けても春、夏の間もアメリカ大使館の汚染インジケーターは「不健康」だと真っ赤っ赤、ひどい時には紫色の「非常に不健康」、えんじ色の「有害」が数日間続いたりもした。
「農薬が怖いんだもん」。農薬やニセモノ食品問題は、一度に大量の死者が出たりしなければ、もうニュースにもならない。街角の小さな店で買ったソフトドリンクを一口飲んでから、手にしたそれをじっと見つめる人は、口の中でそれが本物かどうか分析している最中だ。それで本当に鑑定できるかどうかは別として、多くの人たちにはそれくらいの用心深さが身についてしまった。
「下水油とか考えるだけでも気持ち悪い」。多くの友人が外食先の選定に注意深くなった。小さな店には絶対に行かない、とかギトギトの油を使う四川料理はヤバイ、という人もいる。でも、「スーパーで売られているボトル入りの油でも使用済み油を濾したものが出回っている」というニュースを聞いて絶望感に駆られた人もいる。「もう油は海外産のオリーブオイルしか使わない」と言った人もいた。
「タクシーがつかまらない。道は大渋滞。バスはいつも人でいっぱいだし、地下鉄の終電は早すぎる」。巨大な北京では皆が道を急ぐ。地下鉄の整備は急ピッチで進んでいるけれども、今年の夏にはホームからあふれんばかりの人たちが電車を待っている様子を写した写真が世界を驚かせた。タクシーの取り合いで喧嘩どころか、今年はマイカーを駐車しようとした男たちがそこにベビーカーを止めていた女性が邪魔だと口論になり、ベビーカーの赤ちゃんを取り上げて道路に投げて殺す、という異常な事件まで起こっている。路上はクルマだらけ、路肩にスペースがないから歩道まで車が乗り上げて駐車していて、歩行者はその隙間を歩くなんて様子などもう珍しくもなんともない。
「モノが高い」。政府は穀物や食品の価格にはとても慎重な政策を敷いているが、その他の生活必需品はどんどん値上がりをしている。トイレットペーパーなどは、10年前の2倍くらいになっている。以前も書いたとおり、消費税代わりの「増値税」は17%もかかる。海外旅行を経験した人は「海外のほうがずっとモノが安い」ということを知っている。
街は昔に比べたらそれは便利になってきたけれど、実は人々は便利さを「お金」で買っている。地下鉄が不便だからタクシーを使う。下水油が怖いから外国産の輸入油を使う。牛乳だって信用出来ないから外国ブランドが飛ぶように売れている。数年前メラミン入りミルクが騒ぎになった乳児用ミルクについても、以前書いたとおりだ。病院も公共病院は長蛇の列だし、診察もイマイチだから、高いお金を払って私設病院やクリニックに行く。いやいやいや、そんなもろもろに頭を悩ませるのが嫌だから、とっとと外国に移民したいと真剣に考えている人もいる。
「部屋代も上がり続けているしね」...劉くんが言った。彼が言うと凄みがある。彼は不動産屋に勤めていたからだ。彼と出会ったのも、わたしが部屋探しをしていた時だった。
北京での部屋探しは多くの場合、まずネットで写真と条件を確認して担当の不動産屋と連絡を取って、約束の場所に出かけて行く。しかし、着いた先は写真とは違っていたり、時にはしれっと「あの写真は別の部屋のものです」と言う担当者もいる。わたしは不動産屋がドアを開けた瞬間に目の前に広がった部屋を見て、一歩も入らずにきびすを返して帰ってきたこともあった。不動産屋の職員たちは客が何を求めているかより、部屋を探している人の電話番号を手に入れたのを期に、とにかく「どんな部屋でもいいから」契約させようとしているかのようだった。とにかく金額以外、こちらの条件はお構いなしなのだ。
「大家も、そりゃ入ってくるお金は高ければ高い方がいいと思ってる。それに首都北京なら部屋を探している人は絶え間なく湧いてくるから、どんなにふっかけても大丈夫、借り手は間違いなくいると信じている。ぼくらが『相場』というものを口にしても、自分が決めた賃料で貸すことしか考えていない大家はゴマンといる」と、劉くんは言った。「そして借り手がつかないのは、ぼくらのやり方がマズいからだ、と信じて疑わず、他の不動産屋に乗り換えてしまう」。不動産屋も部屋がなくてはお話にならないので、機嫌を損ねないようにとても気を使うという。
しかし、かくいう劉くんも、わたしと最初に部屋を見る約束をした時、姿を見せなかった。それまでも不動産屋と約束をした時間までに他の人と成約した時など、不動産屋にすっぽかされたこともあった。だが、その時わたしは無責任な不動産業者たちに相当腹を立てていた時だったので、来ない劉くんに電話をして怒鳴りあげた。「ちょうど一件契約が決まったところで、その手続をしていて忘れてしまった」と平謝りする劉くんに、「本当に申し訳ないというなら、お前もこの寒空の中出てきてわたしの顔見て謝れ!」と怒鳴ったら、店からバイクですっ飛んできた。
「怒ってもらってよかったです。当然のことですから」と、その時彼はうなだれながら言った。その言葉に、それまで出会った不動産屋の職員にない、素直さがあったので「あれっ」と思ったのだ。
そのことがあってから、彼はわたしの条件に見合う物件が出た、と聞くと、自分の担当範囲でもないところまでバイクを飛ばして下見をし、わざわざ写真を撮って送ってきてくれた。「2ベッドルームというあなたの条件にはちょっと合わないワンルームだけど、日当たりもいいし、使い勝手もよさそうな部屋ですよ」などというコメントを添えたりして。
後から聞いた話だが、彼が勤めていた不動産仲介チェーンの基本給は3000元(約5万円)。それに成約ごとにコミッションがつく形だ。だか ら、職員たちは 必死で成約を取ろうとする。とにかく「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」状態で、手に入れた顧客の電話番号にかけて自分が持っている物件を、次々と見せまくり、誰かが疲れて一瞬でも「そろそろ...」という表情を見せるのを待っているのだそうだ。
「じゃあ、なんであなたはわたしのために、まず自分が駆けずり回って自分の担当範囲外のアパートまで見に行ってくれたの?」と言ったら、「だってお客が自分で住むんだから要求があるのは当然でしょ。それに見合ったものを紹介すれば喜ばれるって気がついたんだ」という答えが返ってきた。社内の研修ではそんなことは教えてくれず、とにかく売って貸して成約しまくれ、の一言。だが、彼はいろんなお客と接するうちに自然とそう考えるようになったのだという。中国ではお人好し、と馬鹿にされそうな考え方だが、サービス業の王道精神ではないか。彼の謝罪は口先だけのものじゃなかったのだ。
だが、その彼が暮らしていた部屋も月800元(約1万1千円)の間借り。東北の田舎から出てきて6年、その間5年間を不動産業界で過ごしたという。「今年に入ってから不動産の売買はひどい状態。賃貸もあまり動かない。もちろん貸し手はいるけれど、値は釣り上がるばかりで、借り手は今住んでいるところの契約を継続する手段を選ぶ人が増えていてあまり市場が動かない」(契約継続だと賃料は多少値上がりしても、店子は再度礼金、敷金を払う必要はない場合が多い)、つまりコミッション収入がガタ落ちだったそうだ。
彼は今わたしが暮らす、1980年築のボロアパートを例にとり、「来年契約を継続すれば賃料はきっと大台を超えるだろう。でも、もしキミが継続しなくて、その額であの部屋を賃貸に出しても、借り手はそうは見つからないはずだ。市場は今、それくらい現実離れしてしまってる」という。確かに、彼がいう「大台」とは今のわたしの賃料からはわずか200元(約3千円)上乗せした額である。来年継続すれば、大家はきっとそれくらいの値上げは求めるだろう。値上げ幅としては理解できないこともない(今年の値上げ額もそれくらいだったし)。だがその結果、「大台」を突破することになる賃料はすでに現在の大卒初任給を軽く超えている。この北京で、誰がボロアパートをわざわざそんな額で借りるのだろう...
「北京はもうぼくらのような人間が夢を実現できるところじゃなくなった」と劉くん。キミの夢ってなんだったの? 「んー特に大儲けしたいとは思っていなかったけど、普通に暮らして普通に生活を楽しんで、行く末は家を買って普通に暮らす――でも、北京じゃたぶん、永遠にそんな生活できないと思うんだ、もう」と言って、ちょっと悲しそうな顔をした。
じゃあ、大連に行って何をするの? やっぱり不動産屋で働くの? 「仕事はもう見つけてある。薬品工場の統計担当。月給は4500元で、寮もあるし、食堂も安い。勤務もオフィスで定時で終われるから、時間を使って漢方医免許の受験準備をするつもり」
えっ、漢方医?
「うん、ぼくは漢方医の専門学校を出たから受験資格があるの。北京では忙しくて勉強なんてできなかったから、大連で働きながら目指そうかと。合格率7%の狭き門だけど、漢方医は需要はあるから合格すれば仕事はある」......確かに不動産屋の仕事は忙しい。彼も朝8時には出勤してミーティング、夜は10時までびっちり仕事で、土日の休みなんか決して取れない。ときどき平日に友達と一緒に郊外でハイキングしてきた、と写真を送ってきてくれたこともあった。今の北京で楽しく過ごすにはお金がかかる。ショッピング以外に休日を過ごす場所と言ったら、確かに車を持っている友だちと郊外に行く以外はない。
そんなことを話しながら、二人でご飯を食べた。よく考えたら、彼とはコーヒーを飲みながら話をしたことはあったけど(それも勤務中に)、ご飯を食べるのは初めてだった。彼がよく来たという東北料理屋。注文しながら「これは食べられる?」「嫌いなものはない?」といちいち尋ねてきた。ときどきそこで故郷の味を思い出していたのかもしれない。
北京はまたそうして一人の人材を失った。もちろん、彼の代わりはわんさといるのかもしれない。中国は13億もの人口がいるんだから。田舎もんの一人や二人、いつでも補充はきくさ。たぶん、そう言われるんだろう。でも、周りに流されず、きちんと自分の頭を使って考え、少しでも良い仕事をやろうとした正直者の若者の夢は潰えた。
北京はだんだん生き辛い街になってきた。かつてここを愛した彼らはみんなそう言って去っていった。
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