コラム
ふるまい よしこ中国 風見鶏便り
ハッカー騒ぎで中国がいろいろと不利なわけ
早いものでもう3月に入った。中国の3月は政治の季節。この時期に全国から約5000人あまりの政治協商委員や人民代表らが北京に集まり、1年に1度の政治協商会議と人民代表大会の全体会議がそれぞれ開かれる。中国人はそれをまとめて「両会」と呼ぶ。実際には会議に合わせて家族を連れてくる地方代表や委員もいて、彼らが買い物や飲食にいそしむので、北京のサービス業界にはなんともいえないワクワク感が漂う。
特に今年は国の指導部が大幅に入れ替わるので気合も入る。すでにぽつぽつと閣僚級の人選について報道が出ているが、実際に確定するのは3月中旬。でも一旦内部で決まったものが否定されるわけではないので、当局はお祝いムードを盛り上げようとする。
そして、国家主席の席が胡錦濤から習近平へと明け渡される。1年前にはまだ他の人選の可能性が取り沙汰された李克強の首相就任もほぼ確実。こうしてこれからの10年間、中国は習近平カラーの道を歩むことになる。
そこで一つ明らかなのは、中国がアメリカに近づいていくだろうということ。「近づく」というのは必ずしも「仲良しになる」という意味ではなく、前提になるのは、以前、「中国新トップ、斜めから眺めてわかった意外な共通点」にも書いたとおり、習や李の「海外センス」だ。
特に習は共産党総書記就任後の会見スピーチでその片鱗を見せた。ツイッターには政府が仕掛けたアクセスブロックを乗り越えた「反骨もの」が集まっているが、日頃政府を皮肉るのが大好きなその彼らですらも、「原稿をそのまま真面目に読み上げるスタイルの胡錦濤に比べ、習の態度は堂々として『スピーチ』らしかった」と褒めたくらいだ。後で数人から、「あれは確実にそういうプロフェッショナルな手ほどきを受けたのだ」と聞いた。明らかに、アメリカの大統領のような「見せる」を意識した要人教育が中国政府の内部で始まっているという。
ここ10年ほど中国はずっと「アメリカ式見せ方」を研究し、「アメリカに見劣りしない姿」を示そうとしてきた。特に、08年にチベットへの対応をめぐって西洋諸国との間で起こった激しい罵り合い以降、中国政府も西洋に習った「広報マネジメント」を導入。その発言内容はともかく、人目につく場では西洋的な「技巧」を披露するようになった。そんな「姿」だけを日中米で比べるなら、時として日本の閣僚や政治家の発言や態度が格段に田舎臭く見えるほどだ。
もちろん、立ち姿を似せたからといってアメリカに近づけるわけではない。だが、実際に中国の一般庶民もテレビやインターネット、あるいは映画の世界でアメリカをはじめとする世界の主要国のトップの風采を日常的に目にするようになり、その「評価基準」がかつてのそれよりも大きく変化している。少なくとも毛沢東や鄧小平のように庶民が聞き取れない訛りで話す指導者はもう歓迎されず、また「革命者たちの糟糠の妻」よりも「華やかなファーストレディ」を求める声も出ている。そういう意味では習の夫人は著名な歌手だし、李克強夫人も中国国産マイクロブログ「微博」を使いこなす。今後その点も国家アピールに利用されていくのだろう。
だが、その一方で習近平は、アメリカの大学に留学していた愛娘を留学先から呼び戻したそうだ。その理由は「政敵につけこまれる可能性がある」。中国の高官たちが出来る限りの手段を使って次々と子どもたちを欧米諸国へと留学、あるいは移住させているのは周知の事実。だが習の愛娘の帰国は、その「姿見」はともかく共産党内部ではまだまだ西洋諸国を仮想敵とするイデオロギーが幅をきかせていることを意味している。
そんな中で吹き出したのが「中国人民解放軍ハッカー疑惑」だ。
ここ数年、グーグルの中国撤退の引き金となったGメールハッキング事件をはじめ、米国政府機関やメディア、企業へのハッキング騒ぎがずっとくすぶり続けてきた。今回は米国のセキュリティー会社「マンディアント」が、それらの多くのハッキングが上海にある人民解放軍のビルの中から行われていたことを突き止めたというリポートを発表したのがきっかけとなった。実際にリポートを受けて当該ビルをカメラに収めた米国ジャーナリストたちに気づいた警備員が、死に物狂いで車を追いかけて激しく詰問するという緊迫した様子もネットで発表されて、さらに騒ぎは膨らんだ。
そして米国、さらには西洋メディアはここぞ、とばかりの報道が続いた。
話題のリポートを発表したマンディアント社のCEO、ケビン・マンディア氏は、ニューヨークタイムズのインタビューに答えて、上海の人民解放軍のビルを割り出した理由を、「ハッカーのIPアドレスが上海」「使われている言語が(台湾、香港とは違う)大陸中国語のアルファベット表記だった」「どう見ても個別のハッカーの仕業ではなく、大量の人たちが協力して行なっている」......といったさまざまな分析結果による、と答えている(その英文の詳細なリポートはネット上で無料公開されているので、興味のある方はこちらへどうぞ)。
技術的な説明はこのリポートを読んでもらうとして、ここでは説明を省くが、面白かったのはこのインタビューでマンディア氏が、「過去のハッキングはデータを盗み出すことにあったが、中国人ハッカーはデータを盗むことより、データへのアクセス方法を変更したりすることに興味があるらしい」と付け加えている。
同様の指摘を、やはり中国からとみられるハッカーに侵入されたニューヨークタイムズの情報管理担当者もしており、ハッカーが同紙の上海支局長や元北京支局長の資料を探していたらしいことを認めつつ、一方で「印刷システムを破壊したわけでも、顧客資料を漁った形跡もない。何をしたかったんだろう?」と不思議がっていた。
ニューヨークタイムズは昨年9月に上海支局長による温家宝首相の家族の蓄財に関する暴露記事を掲載した直後からハッカー攻撃を受け、その侵入は11月まで続いたという。「ちょうど米大統領選挙期でもあり、サーバー上は多くの情報が行き交っていたわけで、そこを攻撃されれば大変なことになっていたのだが......」と、同紙の情報管理担当者はキツネにつままれたような表情を浮かべていた。
その理由について、マンディアント社レポートに関する最初の記事を同紙で書いたサンフランシスコ支局の記者は、「たぶん、ハッカーたちは温家宝関連の暴露記事の情報提供者に関する情報を探していたのではないか」と語っていた。
「中国ハッカー報道」はニューヨークタイムズだけではなく、ブルームバーグやワシントン・ポスト、CNNなどの米国メディア、さらにその他の西洋メディアも加わり、激しく展開されるようになる。外交専門誌「フォーリン・ポリシー」は単刀直入に、「ハッカー人民共和国」(The People's Republic of Hacking)というタイトルまで掲げた。
そしてツイッターやフェイスブック、アップルなどの著名IT企業もハッキング攻撃を受けたことを認めた一方で、その他の企業や政府機関の多くもハッキングを受けていることが報道で触れられているものの、ほとんどの企業が信用を落とすことや中国を怒らせて反撃を食らうことを恐れてその事実を公開しようとしてこなかったという。
ニューヨークタイムズの記事でも、アメリカの政府関係者は「マンディアント社のリポートが「中国がハッカーの拠点と指摘したことは素晴らしい」とい言いつつ、政府関係者もこれまで同様の疑いを向けながらはっきりとした指摘ができなかったのは、実際にハッカー行為を受けた企業が、自社システムをその証拠として差し出そうとしなかったことをあげている。
これは逆からすれば、今回の事件はニューヨークタイムズやブルームバーグ(こちらもやはり、習近平の周辺を暴露する記事を昨年掲載した)などのメディア自身がハッキングの標的になったことで証拠を手にして問題をあぶり出したのだと見ることもできる。その後のものすごい報道ぶりを見ていても、メディア自体が「証拠を手にした」ことを逆利用しているように感じられる。
前述したニューヨークタイムズの情報管理担当者も「どうやったら防止できるのか」という当たり前の質問に対してこう答えている。「もう、これはある種の文化の問題。ハッカーの侵入の第一歩はフィッシングメールで、それを受け取った社員の一人がそこに書かれたリンクをクリックすれば、ぼーんとウィルスが爆発して連鎖的に振りまかれてしまう。これはもう世界中、どこの会社でも起こりうる。だから我々はこの問題を提起したんだ」。つまり、ハッキング被害は誰しもがひっかかる可能性のある、日常の出来事の一つになってしまった、だから企業は恥じることなく名乗り出、事実究明に協力すべき――と言っているように聞こえないか。
もちろん、この一連の指摘に対して、中国外交部は中国の関わりを否定している。「中国の法律はハッキング行為を禁止している」「IPアドレスの偽装など日常茶飯事だ。それを元にハッカーの拠点を中国だと決めつけるのはおかしい。プロフェッショナルの仕事じゃない」と報道官が批判。米国のセキュリティー会社によるレポートは素人以下のレベルだと論評したのである。さらに報道官は、「中国人民解放軍のウェブサイトも昨年、1ヶ月平均で14.4万回のハッキング攻撃を受けており、そのほとんどがアメリカからのものだった」とやり返した。アメリカの追及のやり方を真似たつもりなのだろうが......。
このような中国政府の対応は、中国人のツイッターユーザーは「自分たちが攻撃されたことをどんなに強調しても、自分たちが『攻撃しなかった』ことを証明したことにはならないだろうに」と冷たい。前述した理由から中国からツイッターにアクセスするにはちょっとした技術的知識が必要になる。だから中国人ツイッターユーザーにはIT関係者が多く、当然ながら中国のIT業界の内情を明暗ともによく知っている。「中国ハッカー拠点」報道にはことのほか興味を抱き、また自分の知っていることと知らなかったことを補充しあっている。
また「中国の法律はハッキングを禁止」していても、中国では実際には「選択性法執行」(すべての人が取締の対象になるわけではなく、法律が選択的に執行されること)が常態になっていることも、ここに住んでいればよく分かる。だから、報道官の発言が西洋的な法律概念を建前に(あるいは人質に)した言い逃れであり、法律があることを強調しても法律を犯す者がいないことは証明できない。
日頃から政府のIT規制に批判的な中国人ツイッターユーザーの政府への反論は執拗だ。「なぜアメリカで『ハッキングされた』と声をあげるのは民間企業で、中国では政府が声をあげるんだ?」「くだんのビルを撮影していた欧米メディアの車を警備員が必死の形相で追いかけ、大声を張り上げる様子を見れば、そこが間違いなく問題の拠点であることは証明されたようなもの」と言う。中国の現実を知る者からすれば、ただの冗談ではない。
このようなハッキング行為は朝9時から午後5時まで、土日祭日は休みという、とてもわかりやすい規律を持って行われていたことも暴露された。これは明らかに「お仕事」としてハッキング行為が行われているという意味だ。「グループによる、お仕事としてのハッキング」、それが人民解放軍のビルの中で行われているとすれば、そこに勤める人の退屈しのぎ的な行為ですらなく、組織的なものであることはもう否定の余地はないだろう。
しかし、マンディアント社のレポートにはアメリカにおいても他のセキュリティー企業から、「中国を拠点とする判断は証拠不足」という声が上がっていることは記憶に留めておくべきかもしれない。そのうちの1社は「たとえハッキングが人民解放軍によって行われているとしても、それが中国政府の指示だとは限らない」と主張しているという。
......ふむ。世界の二極の中国とアメリカの間で起こったこのハッキング騒動。今のところ、中国にはそれほど分があるとはいえない。だが、たとえばシリアスな軍事機密事情すら娯楽大作にしてしまうハリウッドに中国が学んで、映画「ハッカー帝国」でも制作して堂々とそのハッカー事情を娯楽にしてオスカーでも獲ってしまえば、その汚名も晴らせるかも? たぶん、その頃には中国の「アメリカ化」はある意味で完成しているかもしれない。
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