コラム

がん細胞だけ攻撃する免疫細胞をオーダーメイドで作ることに成功 ゲノム編集技術の歴史と未来

2022年11月15日(火)11時20分

化膿性レンサ球菌は、外来性のDNA(ウイルスなど)が侵入すると分解酵素Cas9によって切断し、CRISPR中に外来性DNAの欠片を捕獲します。再度、侵入者が現れた時、レンサ球菌は捕獲したDNAからRNAをコピーして、Cas9の判定を待ちます。Cas9は、捕獲DNAと侵入者のDNAが一致したら攻撃して、侵入者のDNAを切断して排除します。

この仕組みを応用すれば、目的の遺伝子を探す役目を持つガイドRNAとCas9を使って、遺伝子を切り取りたい部分にハサミ(Cas9)を届けて遺伝子欠損を起こしたり、切断後に遺伝子が修復する過程を利用して目的の遺伝子を挿入したりすることができます。

両氏はこの論文に「RNAによってプログラムされたCas9を利用する方法は、遺伝子ターゲティングとゲノム編集に関して多大な可能性を秘めている」と明記しています。実際に、半年後にはCRISPR-Cas9の原理を使った初めてのゲノム編集が報告されるなど、この技術の普及と発展に大きく貢献します。

農作物の品種改良、創薬研究に寄与

ゲノム編集技術は、CRISPR-Cas9以前にもZFN(96年)やTALEN(10年)が発表されていました。これらと比べてCRISPR-Cas9の優れている点は、外敵のDNA配列を認識するのがアミノ酸ではなくRNAであるため合成しやすく、時間やコストが大幅にカットできることです。CRISPR-Cas9の登場で、ゲノム編集は世界中の研究室で簡便に行えるようになり、農作物の品種改良や創薬研究を大きく推進させました。

たとえば、日本では20年12月に、厚生労働省がゲノム編集トマトの流通にゴーサインを出しました。ただし、ゲノム編集作物は登録義務こそあるものの、安全性審査や環境試験、表示義務がないので、消費者の「選ばない自由」は、生産者や小売店の自主的な開示次第となっています。

医療分野では、とりわけ体内に潜伏するウイルスや病変への効果が期待されています。

HIVによる後天性免疫不全症候群(エイズ)は、もはや「死の病」ではなく投薬で発症のコントロールができますが、ウイルスは潜伏するので常に再発の恐れがあります。13年に京大グループは、CRISPR-Cas9を用いて潜在性HIVプロウイルスを破壊する実験に成功しました。22年1月には、米Excision BioTherapeutics社が、CRISPR-Cas9によるゲノム編集は動物で有用なデータが得られたとして、臨床試験を開始しています。

がんに罹患すると、自覚症状の前でも異常な増殖をする細胞が体内に潜伏しています。CRISPR-Cas9で免疫細胞を強化することで発見と治療が可能と考えられており、すでにアメリカや中国では盛んに研究されています。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:社会の「自由化」進むイラン、水面下で反体制派

ワールド

アングル:ルーブルの盗品を追え、「ダイヤモンドの街

ビジネス

NY外為市場=ドル、対円で横ばい 米指標再開とFR

ビジネス

米、対スイス関税15%に引き下げ 2000億ドルの
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:世界最高の投手
特集:世界最高の投手
2025年11月18日号(11/11発売)

日本最高の投手がMLB最高の投手に──。全米が驚愕した山本由伸の投球と大谷・佐々木の活躍

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前に、男性が取った「まさかの行動」にSNS爆笑
  • 4
    『トイ・ストーリー4』は「無かったコト」に?...新…
  • 5
    「不衛生すぎる」...「ありえない服装」でスタバ休憩…
  • 6
    文化の「魔改造」が得意な日本人は、外国人問題を乗…
  • 7
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 8
    「水爆弾」の恐怖...規模は「三峡ダムの3倍」、中国…
  • 9
    中国が進める「巨大ダム計画」の矛盾...グリーンでも…
  • 10
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 1
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後」の橋が崩落する瞬間を捉えた「衝撃映像」に広がる疑念
  • 2
    まるで老人...ロシア初の「AIヒト型ロボット」がお披露目会で「情けない大失態」...「衝撃映像」がSNSで拡散
  • 3
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 4
    『プレデター: バッドランド』は良作?駄作?...批評…
  • 5
    「死ぬかと思った...」寿司を喉につまらせた女性を前…
  • 6
    「座席に体が収まらない...」飛行機で嘆く「身長216c…
  • 7
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 8
    ドジャースの「救世主」となったロハスの「渾身の一…
  • 9
    筋肉を鍛えるのは「食事法」ではなく「規則」だった.…
  • 10
    「イケメンすぎる」...飲酒運転で捕まった男性の「逮…
  • 1
    【クイズ】本州で唯一「クマが生息していない県」はどこ?
  • 2
    英国で「パブ離れ」が深刻化、閉店ペースが加速...苦肉の策は「日本では当たり前」の方式だった
  • 3
    【クイズ】ヒグマの生息数が「世界で最も多い国」はどこ?
  • 4
    一瞬にして「巨大な橋が消えた」...中国・「完成直後…
  • 5
    「不気味すぎる...」カップルの写真に映り込んだ「謎…
  • 6
    【写真・動画】世界最大のクモの巣
  • 7
    1000人以上の女性と関係...英アンドルー王子、「称号…
  • 8
    【クイズ】クマ被害が相次ぐが...「熊害」の正しい読…
  • 9
    【クイズ】日本でツキノワグマの出没件数が「最も多…
  • 10
    今年、記録的な数の「中国の飲食店」が進出した国
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story