最新ポートランド• オレゴン通信──現地が語るSDGsと多様性
人もペットも健康寿命がカギ!『持続可能なポートランド・ドッグフード』
| 健康寿命、人生を共に生きるヒント
「サステナブル(持続可能)・ドッグフード」「ヒューマン・グレード*記載」。愛犬家でない限り、あまり聞きなれない言葉だと思います。
今アメリカのペット業界では、愛犬と環境の双方にやさしい市販のドッグフードや製品が、トレンドを越えて主流になる勢いです。
そのカギとなっているのが、『健康寿命』そして『持続可能』。
日本でもここ数年で、人生100年時代という言葉が定着しています。そしてこのアメリカでは、その一歩先をいく健康寿命に注目が集まっています。すなわち『健康に自立をしながら、社会と共に生きていくことが出来る期間』をいかに伸ばすか、ということです。
私たちの人生が長くなった分、自分がいかに健康であり続けられるのか。同時に、愛するペットの健康を維持して共に楽しく暮らしたい、という願いの現れだとも感じるのです。
この数年、変化を遂げているポートランドの町。でも、変わっていない部分も多くあります。その一つが、愛犬家の多さです。ペットと共に生きる環境を大切にすることから、自分の勤務先に犬と一緒に出社する*というカルチャーもすでに深く根付いています。
そんな愛犬家の間で、ポートランド・ブランドとして支持を集めているのが、ポートランド ペット フード カンパニー。人間が食することが可能なレベル、そんな高品質ドッグフードを開発製造しています。人気の秘密は、フードだけにはとどまらない環境への配慮と数々の持続可能プログラムです。
実は、ブランド創設者のケイトさんにとって人生半ばからの起業でした。そんな持続可能なドッグフードやプログラム、そして彼女を襲った病魔。人生の先輩としての生活のヒントとは、いったいどのようなものでしょうか。
健康寿命や持続可能製品。そしてこの社会と、ペットと、パートナーと共に生きるカギを探っていきます。
| ニッチ市場での、持続可能な商品づくり
元々、愛犬家であったケイトさん一家。2014年に、家族の一員であるスタンダード プードルの健康状態が悪化します。獣医には先は短いと通告された日から、家族総出となって生き延びるすべを調べ始めるのです。
その経過で、今の健康状態に合ったより良いフードを与えていくことの必要性を実感します。とはいえ、当時はあまりにも高額すぎるヒューマングレード製品や、少し安いけれども疑似表示モノという選択肢ばかりでした。
無いなら作ろう!と思い、学習しながら自宅でのフード作りが始まります。その甲斐あってか、一時は危うかったプードルも食欲を取り戻し、そこから2年半以上生きるという奇跡が生まれたのです。この家族総出の経験が基になって、食べ物の質の大切さを分かち合いたいという気持ちから同年に起業。ドッグフードのブランドを立ち上げました。
持続可能なヒューマングレード製品のみ。しかも、添加物や防腐剤は一切なし。米国産の食材のみを使用するという、特化された商品開発と生産をめざします。
このように、人生の半ばで手探りの状態で始めた新しいビジネス。商品として価値のあるモノを作り出していくことに、試行錯誤を始めます。
夫や大学生となった子供達にも手伝ってもらいながら、友人にはパート勤務をお願いします。こうして自分の周辺を巻き込んで、初期の安定化を図っていきました。
まずは、USDA (米農務省) 認証の調理済み保存可能フードの製造を開始します。あわせて、地元の醸造所から仕入れた、使用済み穀物で作られた特製ビスケットも生産開始。
この様に、地元メーカーに協力をしてもらいながら、持続可能商品を作り出していく方向を確立していきます。ペット業界の持続可能小物グッズへの人気も相まって、高品質かつ手が出しやすい価格フードという口コミから、徐々に売れ始めていきました。
そんな時期、ヒューマングレードの商品をより広めたいという思いから、ちょっと型破りな戦略を思い立ったといいます。それが、通常(人間)の食品見本市での出店参加!
「ブースに来る人に試食をしてもらって、感想を言ってもらう。それとほぼ同時に、実はこれはヒューマングレードのドッグフードなんだと告げるのです。もちろん、皆さん驚きます。でも、見本市に来ている方は食のプロの方ばかり。そんな方々がブースに戻って来てくれて、もう一度試したいと言ってくれました。その理由は実にシンプルで、「おいしかったから」。加えて、持続可能な製品作りという分野にも多くの方が興味をもってくれました。」
この様な中小企業ならではのアイディアと小さな努力の積み重ねによって、メディアのカバーストーリーを飾る機会も増えていきます。その頃から徐々に、ブランドの足場が固まって来たと感じ始めました。
しかしその矢先、突如として救急搬送されたケイトさん。そこから、別の意味での新たなチャレンジ生活が始まっていくのです。
| 病気からの学び、『小さな社会』の必要性
ビジネスが少しずつ軌道に乗り始めた矢先の2016年、脳卒中をおこして緊急入院をします。幸いにも、命は取り留めましたが、左半身の運動機能がほとんどマヒしてしまいます。そこから、一日の大半をリハビリに費やす課題多き生活が始まるのです。
「急遽、夫と友人が工面してビジネス継続に必要な働きを担ってくれました。しかも運営の引継ぎだけではなく、全面的な介護にも全身全霊を注いでくれた夫です。その励ましと愛なしには、辛いリハビリを踏ん張ってこられなかった、というのが正直なところです。」
家族、友人、会社の人々のサポートを得て、数年掛けて徐々に回復をしていくケイトさん。
「ご存じの通り、脳卒中による後遺症は完璧に無くなるものではありません。ですが、今こうして杖無しで歩けること、フルタイムで仕事に復帰できたこと。以前の私だったら、ここまで毎日感謝をもって生活するということはなかったと思います。」
そして、その苦しいリハビリを経過する中で、ある目標を掲げます。それは、いつかマラソン大会に参加をして完走するというもの。その日を目指して、少しずつトレーニングを重ねていきます。そしてついには、競歩レベルのスピードをもって目標を成し遂げるのです。
人生の半ばで、いくつも連なるハードルを越え続ける苦しみ。その当時を振り返りながら、静かにこう語ります。
「長い人生の途中で、何らかの予期せぬ出来事は必ず起こります。そして、それを越えていかなければならない、そんな辛い時期が誰にでもあります。その時どんなに苦しくても、現実逃避をしてはいけないと思っています。でも正直なところ、私自身も何度もくじけ折れていました。しかしその都度、将来をポジティブに想像しながら自分自身が幸せだと感じる新しい人生を歩んでいく!と言い聞かせる日々でした。
同時に、自分の信頼する人や自分と同じような経験を持つ人と話をしたり、共有することの大切さも経験しました。
いつか来る何かのためにも、自分が信じられる小さな社会を築いておくこと。これは長い人生において、大切な要素の一つだと確信しています。」
そんなケイトさん流の持続可能が働きがいにつながる、というコンセプトとは?そして、ちょっと疲れているあなたへのアドバイスも...
著者プロフィール
- 山本彌生
企画プロジェクト&視察コーディネーション会社PDX COORDINATOR代表。東京都出身。米国留学後、外資系証券会社等を経てNYと東京にNPOを設立。2002年に当社起業。メディア・ビジネス・行政・学術・通訳の5分野を循環させる「独自のビジネスモデル」を構築。ビジネスを超えた "持続可能な" 関係作りに重きを置いている。日系メディア上のポートランド撮影は当社制作が多く、また業務提携先は多岐にわたる。
Facebook:Yayoi O. Yamamoto
Instagram:PDX_Coordinator
協働著作『プレイス・ブランディング』(有斐閣)