南米街角クラブ
アートあふれるサンパウロはブラジルHip-Hopのメッカ その①
|2000年代、ラップの革新
やがて、ラップ・ミュージックの人気に商機を見出した有名プロデューサーや大手レコード会社が介入する。そして自分たちの音楽をより多くの人に聞いてほしいというアーティストたちの模索が始まった。
暴力的な歌詞を排除し、主題が多様化したこと(ポジティブ思考や愛、平和など)でその存在は多くの人々に知られるようになっていく。
2000年代に入ると、サンバやポップスとの融合により今ではブラジルの重要アーティストの一人となった元教師のクリオーロや、日本のNetflixでもドキュメンタリー映画『アマレーロ』(2020)が配信され世界的に活躍するエミシーダらによって、ラップ・ミュージックは親しみやすさが増し、より幅広い層に興味を持たれるようになった。
こうした商業化によってラップのプロテスト精神が失われたのでは、という声も上がったが、実はそんなことはない。
エミシーダは2015年に「Boa Esperança」(大きな希望)、という強烈なビデオクリップを発表している。
ブラジルの富裕層の家で使用人として働く人々の人権無視や雇用の劣悪な状況を訴えたものだ。
これは実際に家政婦として働いていたエミシーダの母や叔母、友人から聞いた話を元に作られており、「ここに描かれているのは、聞いた話の中でまだマシな方ですよ。」とエミシーダは話す。
ポルトガル語がわからなくても、音と映像から問題の重さと叫びが伝わってくるだろう
また、近年は大活躍する女性ラッパーも増えている。
エミシーダのバックアップによって人気歌手となったドゥリカ・バルボーザは、男性的とされてきたヒップホップのイメージを壊すと同時に、無意識のうちに卑下されてきたアフリカ系ブラジル人女性の美しさ、誇りを見せつけ支持されている。
|ラップは新たなステージへ
ここまでに紹介したアーティストは、全員アフリカにルーツをもつブラジル人である。
では、やはりブラジルのラップはアフリカ系ブラジル人だけのものなのだろうか?
ブラジルの奴隷制度が廃止されたのは1888年。
自分の曾祖父母が奴隷制の時代を知っている可能性もあると考えると、遠い昔の話ではないと想像できるだろう。
多様な人種が混じり合うブラジルでも、アフリカ系ブラジル人に対する"黒人差別"は至る所にはびこっているのが現状だ。
先日、今注目のラッパー、ズジジーラのライブを観に行く機会に恵まれた。
会場はブルーノート・サンパウロ(そう、日本にもあるブルーノート系列)。サンパウロでも人気と実力のあるアーティストしか出演できない場所である。
ズジジーラは州民の半分以上が白人の、ブラジル南部リオグランデドスル州に生まれたアフリカ系ブラジル人。
サンパウロに拠点を移して5年目になる今年、『Opera Preta』(黒いオペラ)と称したツアーで、自身がブラジル南部に黒人として生まれた経験をラップで描き各地を回っている。
DJのバックトラックにラップをのせるのではなく、ピアノ、ベース、ドラムのバンドと共に演奏するスタイルは、アメリカではよく見られるそうだが、サンパウロではまだ珍しい。
平日22時半からのショーにも関わらず会場は満席。
全身から湧き出るエネルギーを使ったズジジーラのパフォーマンスに会場は熱気に包まれた。
ライブ中、彼と同じくアフリカ系ブラジル人として生きる息子、そして世界の子供たちが貧困や差別に苦しむことがない未来が訪れるようにと願うと、会場はより大きな声援で埋め尽くされた。
しかし、会場が最も盛り上がったのは、『Smooth Operator』の「君をいろいろな場所に連れていってあげる」という愛に溢れたサビの曲だった。観客たちはこの一節を熱唱し、会場が一体感に包まれた。
その瞬間、黒人系、白人系、黄色人系(私)と、この記事を書くために観客の人種の違いを意識していたことすら間違いだと感じた。
駆け付けたエミシーダも大きな拍手を贈っていた。
zudizilla | ópera preta tour Gabriel Gaiardo (p/key), DJ Nyack (DJ) Rob Ashtoffen (b), Murilo "Pé Beat"(ds) (photo by Aika Shimada)
ショーの後、前述したハシオナイスMC'sのカリスマ的ラッパー、マノ・ブラウンの2017年のインタビューを思い出した。
「アフリカをルーツにもつアーティストは黒人差別についての質問をよく受けます。私たち黒人は自分の髪を醜いと思い、自分たちの存在を好きになれずに生きていました。でも今の時代は、その頃に比べて未来があります。私たちは黒人差別以外にも話したいことが沢山あるのです」
そう、彼の言うとおり、"アフリカ系ブラジル人=黒人差別のみを訴えるアーティスト"という決めつけはもう時代遅れだ。
ラップの世界は、もうアフリカ系ブラジル人だけのものではない。
|街を歩けばアート(Hip-Hop)に出くわす
近年、ラップ・ミュージックの人気は着実に上昇している。
同じスラム街で誕生したリオデジャネイロの音楽文化ファンキ・カリオカ*と異なるのは、ファンキ・カリオカが元々コミュニティ内での楽しみのために作られていたのに対して、ラップ、そしてHip-Hopは最初からコミュニティ全体の外に向かって表現をしていた点だろう。
彼らの生活に根差したメッセージを伝えることから始まり、今では人生観や希望、自由を語るものに進化した。
ラップ・ミュージックは、彼らの社会への問いかけであり、それ以前に彼らによるアートなのだ。
先日、地下鉄に乗っていた時、Hip-Hopファッションの男性が車内でラップを披露し始めた。
彼は即興のラップで目の前にいたカップルの幸せを祈った後、私のヘアスタイルを褒めてくれた(彼らはそうやって投げ銭をお願いするんだけど)。
彼がうまく韻を踏んだ面白いラップを歌い終わると、車内では大きな拍手が巻き起こった。私の正面にいた疲れた表情の女性も笑顔で拍手するのを見て、なんだか嬉しくなった(彼はもしかしたらどこかでスカウトされるかもしれない)。
サン・ジョアキン駅で地下鉄を降り、2年ぶりに訪れる東洋人街・リベルダージへと歩いた。
通り沿いにあった横幅3メートル以上もある大きなグラフィティは、まったく新しい作品に描き直されていた。
別の壁には日本にちなんだ歌舞伎風のグラフィティ。それを背景にして、20歳くらいの女の子ふたりが楽しそうにスマホで撮影していた(きっとSNSに投稿するんだろう)。
今日も街中で新しいHip-Hop文化が生まれるアート精神の街。
サンパウロの街歩きは本当に面白い。
*ファンキ・カリオカとは、リオデジャネイロのスラム街で開かれていた巨大な野外パーティーで誕生した音楽。今ではスラム街を飛び越え、サブカルチャーからブラジルのメインカルチャーとされる程となっている。
参照 オリンピックと共に考える、「ファンキ・カリオカはブラジルを代表する文化」と言えるのか
著者プロフィール
- 島田愛加
音楽家。ボサノヴァに心奪われ2014年よりサンパウロ州在住。同州立タトゥイ音楽院ブラジル音楽/Jazz科卒業。在学中に出会った南米各国からの留学生の影響で、今ではすっかり南米の虜に。ブラジルを中心に街角で起こっている出来事をありのままにお伝えします。2020年1月から11月までプロジェクトのためペルー共和国の首都リマに滞在。
Webサイト:https://lit.link/aikashimada
Twitter: @aika_shimada