パリのカフェのテラスから〜 フランスって、ホントはこんなところです
パリの空にひるがえるウクライナ国旗と反戦デモ はじめてのデモ集会での涙
このデモ大国フランスに住んで長くなる私も、これまでパリで起こるデモのようなものに参加したことは一度もありませんでした。むしろ、どちらかといえば、ことあるごとに起こるデモを「何かといえば、すぐに騒ぎ出す・・まただ・・」などと、苦々しく思うことの方が多く、長いフランスでの生活での中で、「私がデモに参加する日なんてあるのだろうか?」と思っていました。
しかし、今回の「ロシアのウクライナ侵攻による戦争」に関しては、並々ならぬ感情が自分の中で沸き起こっていることを私は無視することができませんでした。ロシアがウクライナの侵攻を開始した数時間後には、パリのロシア大使館前には、パリ在住のウクライナ人をはじめとする数百名のデモ隊が集まり、「ウクライナへの侵攻停止」を叫んでいました。さすがに、この数時間のうちにこれだけが集まるスピードと集結力は、デモ大国フランスならではのものと妙に感心したくらいです。
時として、このような平日にもデモが行われることがありますが、フランスでのたいていのデモは土曜日と相場が決まっています。これは、必ず土曜日にも、この「ウクライナ戦争に抗議するデモ」がある・・と思いつつ、デモに参加するというよりは、その様子をうかがいに行ってみようと思っていました。
しかし、土曜日、パリにあるロシア大使館前の歩道は通行止めになっており、し〜んと静まり返っていました(考えてみれば、土曜日は大使館は休みなのでそこでデモをやっても仕方がない)。パリでは日本大使館しか行ったことがなかった私ですが、パリ16区の閑静な住宅街にあるロシア大使館は、想像以上に大きな建物で、デモ云々以前に、その大きさにびっくりしました。この大使館の大きさで、あらためて、ロシアはこんなに大きな国なんだと再認識させられた気もしたのです。
パリのデモの聖地 レピュブリック広場
フランスでは、デモのない土曜日というのは、ほとんどなく、2020年3月から4月にかけての完全ロックダウンの間には、さすがにデモはありませんでしたが、ロックダウン解除後は、毎週のように何かしらのデモが必ず行われています。燃料税に端を発した「黄色いベスト運動」をはじめ、テロ行為に抗議するデモ、グローバルセキュリティ法反対や、教職員や病院関係者や全国労働組合などが労働条件改善を求めるデモなど、その抗議内容も様々です。
そして、昨年7月に突如発表された感染対策「ヘルスパス」「アンチワクチン」「ワクチンパス」反対のデモは、33週連続で今も続いています。
パリでのデモは、デモ行進し、最後に集結する場所の一つとして、パリのレピュブリック広場が選ばれることが多いです。レピュブリック広場は、パリ市内3区、10区、11区にまたがり、いくつかのパリの地域からの大通りが交差する場所でもあり、多方面からの人が集結しやすい場所であるとともに、その名のとおりフランスを象徴した場所の一つとして認識されていることから、デモの聖地のようなところでもあります。
デモ隊は、地域の警察に前もって、そのデモのコースと集結地を届出することが義務となっていますが、今回、レピュブリック広場を占領したのは、「ウクライナ戦争反対」のデモ集会でした。レピュブリック広場の中心には、フランス共和国の象徴的な存在でもある「マリアンヌ」像がそびえていますが、それほど広い場所でもなく、コンコルド広場などから比べるとかなり小さいイメージです。
当日、メトロでレピュブリック広場に向かった私は、まず、メトロのレピュリックの駅を出ようとして、正面の出口が閉鎖されているのに、ギョッとしましたが、その場にいた警察官に、「あっちの出口なら開いているから、向こうを廻って・・」と軽く言われて、レピュブリック広場に到達。メトロの駅を上がると、青空にひるがえる、たくさんのウクライナの国旗にここは、本当にフランスなのか?と思うほどでした。たくさんの国旗の中にはフランスの国旗、ヨーロッパの国旗も混ざっていましたが、ウクライナカラーであるブルーと黄色に身を包んだ人々、様々なプラカードや手作りの看板などを掲げ、叫びを上げる人々に、一瞬で圧倒されてしまいました。やはり、生の人々の声、叫びは心に響くものがあります。
溢れ出て止まらなかった涙
パリでのデモは暴徒化する危険も常に孕んでおり、常に警戒されており、その場にも警察官や憲兵隊などの警備は普通の場所よりも多く配置されていましたが、平和を訴えるその抗議内容からも、想像していたよりは、その警備はさほどキツいものではありませんでした。この集まりはデモというよりも集会のようなもので、ステージでは、次々にこの戦争に対する抗議を話す人々がマイクを持ち、また、広場のあちこちでは、独自の集まりで、プラカードを掲げながら、声を上げる人々や、取材に応じて語る人々などがいる中、その多くは、集まった聴衆に語りかける話に耳を傾けながら、それに応ずる形で声援を送っていました。
周囲の写真を撮ったりしながら、その話を聞いていた私は、いつしか一箇所に足がとまり、話に釘付けになりました。話を聴きながら、私は、自分の中で、どこか沸々とした感情が湧いてくるのを感じていました。私は、どちらかというと感情をあまり露わにするタイプではない人間ですが、一緒に声を上げたい衝動にかられていました。デモに不慣れな私は、控えめに声を発しつつも、いつしか、私は自分の目から溢れてくる涙が止まらなくなっていることに気付きました。これまで自分では気が付かなかった心の緊張状態が一気に溢れ出したのかもしれません。
なぜ、こんなことが起こるのだろうか? パンデミックも怖かった・・今も怖いけれど、人が人を殺そうとする戦争は比べものになりません。戦争は、故意に人が起こしていることなのです。テレビをつけてもニュースは戦争の話題一色で、ミサイルが飛んでいく様子、破壊されたウクライナの街、泣きながら避難する人々、メトロの駅構内に避難している人、防空壕のようなところで怯えている人々、見ているだけでも心がしめつけられるような映像ばかりです。
フランスの新型コロナウィルスの感染状況は、かなり改善してきていますが、それにしてもこのパンデミックという異常な体験を家族や友人とも離れて海外で過ごしてきた2年近い時間で、すでに精神的にも疲弊している(なにも私だけに限ったことではありませんが・・)状況に、今度は戦争です。
フランスでは、マクロン大統領が必死にロシアやウクライナ、他の欧米諸国の間に立ち、なんとか「戦争回避」のための努力を続けてきてくれましたが、プーチン大統領には、一向に通じず、一方的な理由をこじつけての侵略、戦争が始まってしまったのです。これまでの経過で、「外交的な解決」や「アメリカとの話し合いに応じる」ことに同意していたはずなのに、同意とは何だったのか?約束はなんだったのか?これまで定められていた「ミンスク合意」などの一方的な理由での反故など、もう、めちゃくちゃです。そして、この事態は、「何があっても、人を殺してはいけない」「戦争をしてはいけない」といったこの世界の根本的な原則を揺るがしている状況です。
ついこの間まで、いや現在進行形で新型コロナウィルスが世界中で蔓延し、人は人の命を救おうと必死にウィルスという敵と闘い続けてきたはずなのに、なぜ?何の罪もない人を殺そうとするのだろうか? そんなことを考えながら、話を聴きながら溢れる涙を抑えきれなかった私の耳には、「ダー、ダー」という声が聞こえてきました。話は当然、フランス語で続けられていましたが、それまで、そこに集まっている人がどこの国の人だということなど、全然、考えていなかったのです。
以前、仕事でロシア人とも接することがあった私は、その「ダー」という言葉に聞き覚えがありました。ロシア語で、「はい」とか、「YES」とか、「そうだね」という意味です。お粗末にも、そこで初めて、その群衆の中には、ロシア人もいることに気がついたのです。そして、途中でウクライナ国歌を多くの人が歌っていたことから、ウクライナ人が多く参加していたこともわかりました。正直、顔だけ見たら、ロシア人なのか、ウクライナ人なのか私には区別がつきません。
ここはフランスですから、フランス人はもちろんですが、ウクライナ人もロシア人も日本人の私も、おそらく、他の多くの国から来ているたくさんの人々が「戦争反対」を訴え、同じ意思や考えを確認しあい、連帯の気持ちを維持しようとしていることに、私ははじめてデモ集会の意味を実感したのです。戦争をしている国のロシア人もウクライナ人も「戦争反対」を訴えているのです。このロシアの戦争行為によって、「なんでもあり」が許される世界であってはなりません。実際に、北朝鮮がこの期に乗じて、日本に向けて軌道ミサイルを発射したというニュースも入ってゾッとしています。
この世界の最も根本的な「人は人を殺してはいけない」という原則を揺るがさないためにも、今は多くの人が声をあげ、その原則を確認し続ける必要があるのです。
実際にロシアでも、「戦争反対」のデモは起こっているようですが、モスクワ当局は、新型コロナウィルス感染を理由にいかなる形式のデモを禁止するとし、大量のデモ参加者を拘束しています。
デモの権利を守るフランス
その日のレピュブリック広場でのデモ集会は長い時間続きました。群衆の周りを一周してから、そろそろ引き上げようと思っていたところに、何やら急に物々しい警備隊が続々と現れ、「なに??」と思っていたら、それは、別の「ワクチンパス反対」「政府への抗議」のデモ隊が通過するところでした。今では、「ワクチンパス」反対のデモの規模はかなり小さくなり、どちらかといえば、よもや、それを警戒し警護する警察官・憲兵隊・特殊部隊の方が数が多いくらいでしたが、そのデモを警備する憲兵隊や特殊部隊の集団を初めて間近にした私は、その数と武装ぶりに驚かされたのです。
イカつい体格の男性がガッツリとした制服に身を包み、銃だけでなく、何キロもあると思われるあらゆる武器が装着されたベストを身につけ、デモ隊を包囲しながら、通り過ぎる様子に、フランスは毎週毎週起こるデモに、一体、どれだけお金と人力・尽力を注いでいるのか?と驚かされたのです。ここまでしてでも「デモの権利」を守らなければならないことを私は今まで理解していませんでしたが、今回の戦争でのロシアを見ていると、やっぱり、ある程度は必要なことだと認識したのです。
もしも、今のロシアのような状態になれば、フランス国民は決して黙っていることはありません。声をあげることが習慣化しているフランスでは、外国に向けての戦争以前に国内で大きなデモ・暴動が起こります。そういう国民の声が抑止力になり得るのです。
今、私たち一人一人ができることは、限られていますが、この世界の根本的な原則が揺るがないように言葉を発し続け、その原則を確認し続けることが必要です。でなければ、具体的な破壊だけでなく、その原則そのものが壊れていってしまいます。「人を殺してはいけない」そんな当然のことが、第一に尊重される世界に戻ることを心の底から望んでいます。
著者プロフィール
- RIKAママ
フランスって、どうしようもない・・と、日々感じながら、どこかに魅力も感じつつ生活している日本人女性。日本で約10年、フランスで17年勤務の後、現在フリー。フランス人とのハーフの娘(1人)を持つママ。東京都出身。
ブログ:「海外で暮らしてみれば・・」
Twitter:@OoieR