悠久のメソポタミア、イラクでの日々から
今年一年のイラク生活を振り返って
2021年も終わりに差し掛かってきました。
最近はやっとここエルビルも冬らしい天気になってきて、朝は0℃を下回り、日中も10℃以上にならないくらいの気温になっています。
こっちの家は50℃を越す夏場に合わせた家の作りになっているため、冬は家の中の方が寒いのではないかと感じるほど、骨身にこたえる寒さです。
この時期、電力事情が安定していないイラクでは灯油ストーブに加え、主に貧困家庭では木炭を使用し暖をとっており、換気を怠ったために一酸化炭素中毒で人が亡くなるといった事故が度々ニュースを騒がせます。
私はここイラクに駐在をして2年以上になるのですが、2020年はコロナ禍が原因で日本に戻っていた時期もあり一年丸ごと滞在していたのは今年が初めてでした。
今回はそんなイラクでの一年を過去の投稿記事も交えながら振り返って生きたいと思います。
1月:バグダード、タイヤラーン広場の自爆テロ事件
イラクの2021年はバグダードにおける大規模なテロという悲しい事件から始まりました。
1月21日、バグダード中心部にあり多くの人が買い物に訪れる市場があるタイヤラーン広場にて過激派組織ISISが自爆テロを実行。32人が亡くなり110人の負傷者を出しました。
この事件は米軍が対ISISの作戦遂行を目的に駐留させていた戦闘部隊の大幅な縮小を開始していた時期とも重なっており、2017年より領土を失ったとはいえ未だにISISのイラクにおける影響力が無視できないものであることを象徴する事件となりました。
個人的には2回目のイラクでの年越しとなり、一昨年はアルビル市内で花火を見ていましたが、この年は東部スレイマニヤ市に暮らす友人のもとに転がり込み、一晩中どんちゃん騒ぎの楽しい年越しとなりました。
2月:アルビル市・ロケット弾攻撃事件
2月には私の住むアルビル市が実際に攻撃の対象となる事件も発生しました。
2月15日の夜9時すぎ、約14発のロケット弾がアルビル国際空港内に駐留する多国籍軍の施設に向け発射されました。米軍によるイランのソレイマニ司令官殺害とその後の対立で昨年から軍事施設を狙った同様の攻撃は起きていました。しかし今回の攻撃ではアルビル市の市街地にも着弾。
軍施設内で働いていたフィリピン人職員と一緒に、市街地でもアルビル市民が爆発に巻き込まれ一人亡くなりました。
親イラン系の民兵組織による犯行と見られていますが、犯行声明はありません。
その後、アルビル市における攻撃は度々発生しており、2021年4月以降はドローンを使った自爆攻撃も発生し新たな脅威となっています。
3月:フランシスコ法王のイラク訪問
私が日本に一時帰国をしていた3月、イラクのキリスト教徒コミュニティにとって大きな意味のあるイベントがありました。
カトリック教会の最高権威であるフランシスコ法王が初めてイラクを訪問。3日間の日程でバグダードやアルビル、モスルといった都市を訪問しました。
2014年の過激派組織ISISの領土拡大で、イラク北部を中心に暮らしていたイラクのクリスチャン・コミュニティも多くが破壊されてしまいました。フランシスコ法王の訪問はイラクにおける宗教間の融和、そしてクリスチャン・コミュニティの復興に向けて力を与えるものとなりました。
4月:クルディスタンでの初めての春
2020年のこの時期はコロナ禍で一時帰国を余儀なくされたこともあり、2021年は3月20日のクルドの新年(ノウルーズ)を含めここクルディスタンで初めての春を体験しました。
一年を通して荒れた茶色の大地が緑のカーペットに覆われる様子は圧巻でした。
大自然の中でBBQをし、スポーツをしたりお茶を飲みながら気長に談笑をしたり。地元の人たちも「この2ヵ月が一年で最も幸せな時間」だと話していました。
5月:相次いだ活動家の暗殺と抗議デモ
短い貴重な春が終わり、5月に入ると雨も降らなくなり段々と長い夏の気配を感じてきます。
そんな中、イラクの南部を中心に市民の権利を訴える活動家たちが立て続けに暗殺され、それを受けて大規模な抗議デモが発生しました。
特にニュースとなったのがカルバラ県で5月9日に暗殺されたIhab Jawad Al-Wazni氏の事件でした。
Al-Wazni氏はカルバラ県における反政府・反イランデモのリーダーの一人であり、彼の暗殺はその後数日に渡り大規模な反政府デモへと発展しました。イラク当局は犯人の逮捕に全力を挙げると約束をしましたが未だに実行犯の逮捕には至っていません。
誰がこれらの活動家を殺害しているのかは犯行声明が出ていないためにハッキリとしたことは分かりません。しかし抗議デモの対象となったイランの権益をもつ民兵組織がバックにいるのではと見られています。
個人的には5月、アルビルで開催されたスタートアップ企業たちの商品販売会に参加してきました。クルディスタンの若者たちの熱を感じることができるイベントでした。
6月:激化するトルコ軍の越境空爆
2021年の3月より、トルコ軍によるイラク国内のPKK(クルディスタン労働者党)をターゲットとした越境軍事作戦が展開されていました。しかしこの時期特にその越境攻撃、特に空爆が激しさを増すようになり、イラク市民にも被害が出るようになりました。
2021年9月頃までにこの作戦により7名のイラク市民が犠牲となっており、特に攻撃の激しいイラク北西部地域では空爆に反対する抗議デモもしばしば発生しています。
イラク政府も病院等も狙った行き過ぎた攻撃に対して非難をする声明も出していますが、現在もイラク北部や中部地域を中心に空爆は継続されています。
7月:ナシリーヤ県のコロナ専門病院でイラク史上最悪の火事が発生
7月にはイラクで初めて新型コロナウイルスのデルタ株の流行が確認され、感染者が急増していました。
その中で南部ナシリーヤ県の新型コロナ治療専門病院にて酸素ボンベが爆発し火災が発生。92人が亡くなりイラク史上最悪の火災となりました。
4月にはバグダード市内の新型コロナ治療専門病院でも火災が発生し82人が死亡しており、イラクの医療インフラの脆弱性が露呈する悲惨な事故が度重なり起こってしまいました。
8月:酷暑と電力不足に揺れた夏場
夏真っ盛りとなる8月。イラクでは電力不足と水不足が深刻化していました。
6月には変電所で事故が起き南部地域で数時間に渡り停電が発生。60℃にも迫る南部地域でこのような停電が度々発生しており、長年の政府による杜撰なインフラ管理に対して市民の不満が噴出し抗議デモにも発展しました。イラクは世界第五位の石油生産国であるのに他の産油国に比べてインフラが未整備であったり戦乱による破壊を経験しています。
イラクのインフラ問題は、イラクの富の再分配と汚職問題に繋がる根深い問題です。
電力不足以外でも今年の夏は水不足も深刻なものでした。塩害や干ばつで農民が土地を放棄する事態も起きており、気候変動の影響も見られています。
電力不足が続く中、私も同僚たちと北部地域に避暑に行ってきました。
9月:EUを目指すイラク人の増加
今年の8月頃から、イラク北部やシリアからの難民や移民がベラルーシを経由してポーランドといったEU加盟国を目指す動きがニュースを賑わしていました。
8月から人々の数が増え始め、10月の時点では12,000人に迫る人々が国境地帯でポーランド側に渡る機会を伺っていました。
ここクルド自治区内からも多くの人がベラルーシに渡ったことから地元でもこのニュースは連日大きな注目を集めました。それと同時に、EUを目指す理由となっているイラクでの生活の困窮やその原因の一つとなっている政府の腐敗が再認識され、自治政府への批判の声も聞かれました。
その後、イラク政府やクルド自治政府が手配したチャーター便が何度もベラルーシからアルビル国際空港へと飛び、数千人が帰還しました。
しかし未だに数百人がベラルーシにとどまっていると見られており、極寒の気温の中、解決には至っていません。
10月:3年ぶりのイラク議会選挙
10月10日、イラクで3年ぶりの議会選挙が行われました。イラクでは4年おきに総選挙が行われますが、2019年の大規模な抗議デモを受け政府は選挙の前倒しを約束。コロナ禍によって延期されていましたが、今回無事に実施されました。
投票日もテロの懸念などがありましたが、キルクーク県で起きたISISによる小規模な攻撃を除いて大きな混乱は起きませんでした。
結果は親イラン政党が大敗した一方で、シーア派ナショナリストであるサドル運動が躍進し議会第一党となりました。しかし投票率がフセイン政権崩壊後の選挙で最低となり、支配階級に対する不満が示された結果となりました。
選挙結果は先日裁判所によって確定され、カーズィミ首相は1月から新議会の運営を開始すると公表しています。
11月:カーズィミ首相の暗殺未遂事件
選挙の結果を受け親イラン勢力の抗議デモが頻発している中、11月7日未明にカーズィミ首相の邸宅に爆弾が積まれたドローンが自爆攻撃を行う暗殺未遂事件が発生しました。
犯行声明などは出されなかったこの事件ですが、使用されたドローンがアルビル国際空港への攻撃などでも使われるものと類似していた点などからも、親イラン系勢力による犯行で「イランの影響力を排除しようとする動きに対して警告する」というメッセージが含まれていると見られています。
この攻撃でカーズィミ首相宅の警備兵数名が負傷し首相宅に対しても損害が出ましたが、首相自身にケガはありませんでした。
イラクを取り巻く複雑な国際情勢を改めて見せつけられた事件でした。
12月:イラクからの米軍戦闘部隊の撤退
2021年も終わりに迫る12月、イラク政府より「イラクに駐留をする多国籍軍の戦闘ミッションが終了した」と発表があり、2014年から続いていた対ISISへの戦闘ミッションが事実上終了しました。
今年の8月にアフガニスタンからの撤退が行われたと同時期にカーズィミ首相とバイデン大統領の間で正式に今年末までの戦闘ミッション終了が確認され、それを受けての発表でした。
しかし同時期、イラク中部地域を中心にISISによる市民への攻撃が多発。中には村が占領され、住民が一時他地域への避難を強いられる事態にもなりました。
多国籍軍の戦闘部隊撤退により、今後はイラク軍への訓練とアドバイザーとしての役割だけとなります。このISISの攻撃でイラク軍やクルド自治政府軍(ペシュメルガ)の対応に疑問の声も上がりましたが、この一連の攻撃の後に両軍とも協力関係の再構築を確認。今後は共同での掃討作戦を強化していくと見られています。
2017年にクルド自治区で行われた独立を問う住民投票とその後の中央政府との対立で両軍の関係は冷え切っていましたが、多国籍軍の撤退を受け関係改善が進んでいる様子です。
一年を振り返ってみて
このように今年もイラクでは多くの出来事がありました。そして残念ながら、その出来事の内の多くが悲しいものでした。
しかしその中でも、地元イラクの友人や同僚に子どもが生まれたり、ある友人は長年の夢であった欧州企業への就職と移住が決まったりと、個人的には嬉しいニュースもたくさんありました。
イラクという複雑な事情を抱える国に暮らしていて、「世界の不条理」というものの凝縮を間近に見ることが多々あります。
しかしその中にあってもイラクの人たちの生き様から学び、来年も日本の皆さんに届けられればと思います。
今年から参加させてもらっているWorld Voice、お読みいただきありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いします。
イラクから良いお年を。
著者プロフィール
- 牧野アンドレ
イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。
個人ブログ:Co-魂ブログ
Twitter:@andre_makino