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悠久のメソポタミア、イラクでの日々から

牧野アンドレ|イラク

「アメリカはまたクルド人を見捨てるのか」:アフガニスタンを見たクルド人の反応

エルビル市内に掲げられているクルドの旗 ©筆者撮影

8月後半のアメリカを中心とした多国籍軍の撤退と、それに伴うイスラム原理主義組織タリバンのアフガニスタンの再支配は世界中に衝撃を与えたニュースでした。

しかしこのニュースは、ここイラクのクルド自治区でも「次は自分たちではないのか」という衝撃とともに受け止められています。

イラク国内には現在、約2,500名の米軍兵士と約3,000名の多国籍軍の兵士が駐留しており、イラク国内やシリアでの対過激派組織ISISの作戦の後方支援として従軍しています。

しかしアフガニスタン撤退の少し前、7月にイラクのカーズィミ首相が米国を訪問しバイデン大統領と会談を行いました。

カーズィミ首相は米国のイラクからの撤退を求め、それを反映した形で会談後の両国による共同声明にて2021年末までに米軍の戦闘部隊を撤退させることが正式に示されました。

今回は米軍がここイラクのクルド自治区で持つ意味。そして米軍のイラク撤退後に考えられるシナリオについて書きたいと思います。

  

タリバン再支配の報道を受け、ここクルド自治区で聞かれる議論

アフガニスタンとイラク。アメリカにとってこの2ヵ国にはいくつかの、ただし重要な共通点があります。

2ヵ国ともアメリカが9.11の後に侵攻し当時の政権を打倒したこと。その後、形だけは民主主義の政権を作らせたこと。数兆ドルにも及ぶ経済・軍事支援を行ったこと。そして2ヵ国とも有事に全く正規軍隊が機能しなかったこと、です。

最後の点、アフガニスタンは昨今のタリバンへの降伏が挙げられますが、イラクでも2014年、過激派組織ISISが勢力を伸ばした際に多くのイラク軍兵士が米軍仕様の最新鋭兵器を持っていたにも関わらず、カラシニコフで武装しただけのISIS兵士から逃亡したという経緯があります。

一度米軍はイラクから撤退していたとはいえ、この2014年におけるイラク軍の大敗北を受けて再派兵を行っています。

2017年にISISが支配領土を失った現在、名目としてはISISのスリーパーセルに対する後方支援となっていますが、現在米軍がイラクに留まっている大きな理由として、イランの影響力を削ぐためという地政学的なものもあります。

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シリア・レバノンとイランの間に位置するイラク ©Google Map

イランは2014年にイラクがISISによって国土の1/3支配下におかれた際、真っ先にイラクに軍隊を派遣し首都バグダードの陥落を防いだ存在でした。その後も当時組織した自国の影響力を持った民兵を操っており、イラクの国政に大きな影響力を持ち続けています。

またイラクはイランが支援をするシリア政府、またシーア派武装組織のヒズボラがいるレバノンのちょうど間に位置しており、これらの勢力に支援を行う際には必ず通り道となります。イランとしても、イラクが自国の影響下にあることは地政学的に大きな強みとなります。

アメリカとしては敵対するイランが中東で覇権を握るのを恐れており、さらに同盟国であり同じくイランと対立しているイスラエルに直接的な脅威とならないことを望んでいます。

ちなみにこういった事情もあり、イスラエルはイラクのクルド自治区に対しても軍事支援を行ったりと、関係強化を行っています。

さて、イラクのクルド人は1991年に湾岸戦争の混乱の最中に蜂起し、自治権を勝ち取りました。その後の90年代にはクルド人内の対立で内戦も起きていますが、イラク国内では唯一治安が安定している場所として現在も日本人の出入りも問題なくできます。

イスラム教スンニ派が大多数であるクルド人と自治政府にとって、シーア派が主流であるイラク中央政府に対しては「いつか自治権を奪い取られるのではないか」という猜疑心がいつも付きまとっています。

つまりクルド人にとって米軍の存在は、イラク中央政府が簡単に手を出してこないようにする安全保障上のカードと言うことができます。

しかし2020年に当時のトランプ米政権がイランのソレイマニ司令官を殺害をしたこと受け、イランとの関係が最悪になると、イランの影響下にある民兵がアメリカの大使館や軍基地に対して頻繁に攻撃を行うようになりました。

イラクとしても、国内でアメリカとイランの代理戦争状態になるのはたまったものでありません。それが冒頭で書いたように、カーズィミ首相がバイデン大統領に対して撤退要求を行った背景になります。

クルド人としては米軍という安全保障カードを失うことを恐れており、「アメリカはまたクルド人を見捨てるのか」という議論が現在湧き上がっているという訳です。

   

シリアでクルド人を見捨てた米軍

この「"また"見捨てるのか」という言い方は、2019年にシリア北東部で起きたことが念頭に置かれています。

2019年11月、当時のトランプ大統領が突如シリア北東部からの一部を除いた撤退を公表し、その後トルコがシリア北東部に侵攻したという出来事がありました。

2014年にISISがイラクで勢力を伸ばしていた最中、彼らは紛争が続いていたシリアにも勢力を伸ばし、短期間で中部から北東部にかけての大規模な支配圏を確立しました。

シリア北東部にはクルド人が多く暮らしており、2012年に紛争が本格化すると共産主義系の民族武装組織(YPG)が蜂起、クルド人が多数暮らす北東部を支配下においていました。

2014年にはISISとクルド人の間でも戦闘が激化していましたが、最新鋭の武器を持つISISに対してクルド人は当初敗北を重ねていました。

しかし2014年9月にトルコとの国境の街であるコバニの市街地戦、特にクルド女性防衛隊の活躍が報じられるとアメリカ政府は世論に押されてクルド人部隊の支援に乗り出しました。

これをきっかけに米軍はクルド人部隊を対ISISの地上部隊とし、後方支援と空爆を通して支援を続け、2017年10月にはクルド人を中心とした「シリア民主軍(SDF)」がISISが「首都」としていたシリアの都市ラッカを奪還。2019年2月には最後の要衝バグーズを陥落させ、ISISはついに支配地を失いました。

クルド人は地上部隊として戦い、1万人を超す兵士が命を落としました。しかしそのクルド人を、アメリカ政府は用済みとなれば見捨てました。

このシリアのクルド人と対立するトルコ軍の侵攻により、新たに20万人以上がシリア国内で故郷を追われ、2万人近くがイラクのクルド自治区へと避難を余儀なくされました。

イラクのクルド人はこの2年前にシリアで起きたことを見ており、「自分たちも用済みとなれば見捨てられる」と考えている人が多くいます。

  

米軍のイラク撤退後に考えられるシナリオとは

実際「米軍の撤退」といっても、撤退を行う予定なのは戦闘部隊のみであり、後方・偵察支援やイラク軍のトレーニングを行う部隊は引き続きイラクに駐留することになっています。ただそれでも、イラクでアメリカの影響力が低下することは避けられないでしょう。

考えられているシナリオとして、一つに米軍をはじめ多国籍軍が撤退をすればISISが勢力を再び盛り返すのではないかというものがありますが、個人的にこの可能性は低いと考えています。

現在も、イラク中部を中心にISISのスリーパーセルの活動は報告されており、テロ攻撃も頻発しています。しかしその度にイラク軍の特殊部隊とクルド自治区軍(ペシュメルガ)が対処しておりISISの勢力伸長は起きていません。今後も、しばらくはこの状態が続くだろうと私は考えています。

ただしもう一つのシナリオ、イランがイラク国内で影響力を増大させるという点に関しては十分にあり得ると思っています。

イラク国内のシーア派内部でもイランの影響力増大を嫌うナショナリストの派閥が存在しますが、イランの影響力が増すことでこの勢力との対立が起きることも考えられます。

また、クルド自治区としても米軍のバックアップがなくなるとなれば国境接する大国イランとの関係悪化はなんとしても避ける必要が出てくるため、西側諸国寄りだった政策を転換させる可能性もあります。

イランの動向は、国際政治とも大きく関わってきます。イランはアメリカを中心とした経済制裁の解除を求めており、交渉が上手くいっている間はイラク国内でもアメリカの権益に挑戦をするということはしないでしょう。事実、バイデン政権になり核協議が進んでいる現在、イランの影響下にある民兵の攻撃も鳴りを潜めています。

米軍の存在はイラクの治安を悪化させる要因ともなりますが、クルド人にとっては安全保障のカードともなる存在です。

今回は米軍のアフガニスタン撤退、そしてイラク国内からの2021年末までの撤退の報道を受け、イラクのクルド人の声を紹介しました。

 

Profile

著者プロフィール
牧野アンドレ

イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。

個人ブログ:Co-魂ブログ

Twitter:@andre_makino

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