悠久のメソポタミア、イラクでの日々から
東京五輪に出場するイラク難民選手の半生
6月8日、国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長により、7月末から始まる(ひとまず予定の)東京五輪に参加する29名の「難民選手団」が発表されました。
UNHCRによると2019年末までに世界には約8,000万人の故郷をおわれた人々がいます。
「この29名はその8,000万人を代表する選手たちになる」と、UNHCRのトップであるフィリッポ・グランディ難民高等弁務官も語っています。
前回のリオ五輪では4ヵ国から10名のみの出場だったことを考えると、倍以上の選手が今回の東京五輪では選ばれたことになります。
出場する29名の選手一覧や出場競技については、こちらで紹介しています。
イラク出身のアケル・アル=オバイディ選手
今日はその中で、私が現在暮らしているイラクの出身で唯一今回の「難民選手団」に選ばれました、レスリング競技に出場するアケル・アル=オバイディ選手についてご紹介します。
彼のことを知り、他の出場選手たち同様「難民選手団」の一人ひとりにストーリーがあるということを知っていただければ幸いです。
今日21歳のオバイディ選手はイラク北部の都市モスルで生まれ育ちました。
6歳で地元のジムでレスリングを始めた彼はすぐに才能を開花させ、ユースの大会で次々と優勝をしていきます。将来はイラクのナショナルチームでオリンピック出場も目され、いつしかそれが彼の夢ともなっていました。
しかし14歳の時にイスラム過激派組織IS(イスラム国)が出現し、彼の暮らしていたモスルはISの支配下となりました。
当時14歳だったオバイディ選手もISの兵士としてリクルートされる危険があったためにモスルを脱出しました。
家族と離れ離れになった彼は他の難民のグループと一緒に欧州を目指します。
最終的にオーストリアにたどり着いた彼は、そこで難民として認定され、ドイツ語を学びながらも家族と離れて暮らす寂しさと心の傷を癒していました。
その一環で、塗装業で働きながら彼は今までずっと続けていたレスリングのマットの上に戻ります。
その後、オバイディ選手の才能を見出した地元のレスリング指導者が彼を誘ったことで、彼はオーストリアの山間にある小さな街、インツィングに引っ越し、周りに支えられながらスポーツ選手としてキャリアをスタートさせます。
国際大会にも出場する中で他国の選手たちとも切磋琢磨をし、2019年にはUNHCRが出している難民選手スカラシップに合格、そして今回55名のスカラシップホルダーの中から東京五輪に出場する29名に選ばれました。
オバイディ選手はメディアの取材に対して以下のように語っています。
「私はこの機会を通じて、難民という境遇にある私たちの声を届けたい。難民は悪い人たちなのではないということを伝えたい。私たち難民をいつも悪者であったり、悪いことと繋げてはいけません。他者と見なされる私たちも素晴らしいことを成し遂げられ、スポーツもでき、メダルだって獲得できるということを示したいです。」
オバイディ選手は、8月3日に一回戦が行われるレスリング男子グレコローマンスタイル67kg級に出場します。
また7月23日に予定されている東京五輪の開会式では、難民選手団は最初の入場が伝統となっているギリシャの次、2番目の入場となっています。
この機会に、ぜひ難民選手団について知っていただき、日本人選手の次くらいには応援をしましょう!
著者プロフィール
- 牧野アンドレ
イラク・アルビル在住のNGO職員。静岡県浜松市出身。日独ハーフ。2015年にドイツで「難民危機」を目撃し、人道支援を志す。これまでにギリシャ、ヨルダン、日本などで人道支援・難民支援の現場を経験。サセックス大学移民学修士。
個人ブログ:Co-魂ブログ
Twitter:@andre_makino