「いらない」と「楽しい」が同居する五輪は、「国威発揚」より意義深い
ANDRONIKI CHRISTODOULOUーREUTERS
<88年ソウル五輪の高揚感と「国威発揚」を体験した身からすると、自由に「NO」と言える五輪には新鮮さを感じる>
このコラムが出る頃には紆余曲折のあった東京五輪も本格的にスタートし、日本国民の55%が反対していると報じられた雰囲気も少し変わってきているかもしれない。ただこのコラムを書いている開幕直前までの雰囲気は、引き続き反対論が強いようだ。
新型コロナウイルス対策との整合性という問題は確かにあるにせよ、実は個人的には「多くの国民が反対するなかで開催される五輪」に新鮮さを感じている。
韓国人である私にとって、最も印象深い夏季五輪と言えばやはり1988年のソウル五輪だ。韓国では、軍事クーデターで政権を取り、多くの市民に被害を与えた光州事件を引き起こした全斗煥(チョン・ドゥ・ファン)大統領の「唯一の肯定的な功績」と言われたりもする。
あの時は開催の何年も前から、テレビで毎日のように五輪関連の報道がなされ、「五輪開催によって韓国もついに先進国へのステップを上がり始めた」という高揚感に国全体が包まれていた。
ソウル五輪のマスコットはトラの子供「ホドリ」だが、今の東京五輪のマスコットとは違い、韓国国民であれば知らない人はいなかった。開幕1年4カ月前から『走れホドリ』というアニメが毎週末に放映され、子供たちの間での五輪ムード盛り上げに一役買っていた。
開幕すると、当時ソウル市内の高校生だった私も観戦に動員された。実は私はスポーツにはあまり関心がない。無理やり連れていかれるのは嫌だったが、当時はそんなことを言える雰囲気ではなかった。
弟は五輪を心から楽しんでいた
もちろん心から五輪を楽しんだ市民も多かった。私の弟もその1人だ。開幕以前から五輪関連の新聞記事をスクラップして楽しみに待ち、観戦動員も授業が休みになって友達とわいわい言いながら予選を見たから、本当に楽しかったのだそうだ。
ちなみに私は陸上のスター、カール・ルイスの100メートル走予選、弟は走り幅跳び予選を見た。
ソウル五輪と比較すると、コロナ禍の今回の東京五輪は雰囲気が全く違う。
IOC(国際五輪委員会)のバッハ会長の歓迎会には反対デモが起き、テレビのニュースでは、五輪について「正直、迷惑ですよね」と語るトラック運転手のコメントが報じられていた。首都高速で五輪関係車両を優先するために渋滞が起き、輸送に普段の何倍もの時間がかかるのだそうだ。
いろいろと東京五輪関連のトラブルも報じられるが、そもそも国民の約半数が開催に否定的な見方をする五輪が、64年の東京や88年のソウル、08年の北京のように国民に高揚感をもたらす「国威発揚五輪」になるはずがない。そして、それはそれで良いのではないかと思う。
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