クリップスとブラッズ、白人至上主義、ヒスパニック系...日本人が知らないギャング犯罪史
さらに1980年代と90年代の「犯罪に厳しく(タフ・オン・クライム)」の方針――麻薬所持や、執行猶予と仮釈放中の違反行為のような比較的軽くて小規模で暴力を伴わない犯罪に関与した人を投獄することを目的としていた――によって、カリフォルニアの刑務所は信じられないほどの過密状態になった。
威圧的で不穏な施設のなかで人種別のギャングが勢力を拡大し、暴力で紛争を解決したり、メンバーに規律を守らせたり、無関係な囚人を脅して仲間に加えたりしたことは少しも不思議ではない。
カリフォルニアの各刑務所で人種間の暴力が大変深刻になったため、州は危険人物と見なされる囚人を人種的に隔離するという非公式のルールを採用した。2005年、連邦最高裁判所はカリフォルニア州に対して、この措置を中止するよう命じた。それでも最高水準のセキュリティを有する刑務所はまだ、特定の囚人の隔離は異なる出身の囚人同士が喧嘩する(そして、相手を殺す)ことを防ぐために必要であると考えている。
その点について言えば、人種統合が行われた刑務所でも、大半の囚人は、生き延びるために同じ人種で固まるべきだと考えており、食堂のような共用スペースでは別の人種と距離を置いている。
最悪の暴力を生み出したヒスパニック・ギャングの分断
また、ヒスパニック・ギャングのメンバーのあいだで、地理上の大きなへだたりが最悪の暴力の基盤にもなっているのは興味深い。具体的に言えば、刑務所に入れられたときに、だいたいの者は所属していたストリート・ギャングに関係なく、スレーニョス(スペイン語で「南部人」という意味で、カリフォルニア南部の出身者のこと)か、ノルテーニョス(「北部人」という意味で、カリフォルニア北部の出身者のこと)に二分される。
この地域的な分断が生まれたのは1970年代で、当時、かたや南カリフォルニアのメキシカン・マフィア、かたや北カリフォルニアのヌエストラ・ファミリアへの忠誠を公言していた2つのグループが対立していた。
いまでは州のヒスパニックの刑務所(プリズン)ギャングとストリート・ギャングの大半が、セントラル・バレーの南の端を東西に横切る見えない線によって大まかに分けられ、スレーニョスかノルテーニョスのどちらかとつながっている。
かなり前から刑務所で特に深刻な問題になっている白人至上主義のギャングは、戦闘的な集団であるのを示すために、「ペッカーウッズ」と名乗ることが少なくない。この呼び名は、もともと貧しい白人を意味する19世紀のアフリカ系米国人のスラングで、当時は軽蔑的な意味で使われていたのだが、1960年代の激動のなかで団結を目指した人種差別主義者の白人の囚人たちがそれを拝借した。