「原爆の父」オッペンハイマーの伝記映画が、現代のアメリカに突き付ける原爆の記憶と核の現実
“OPPENHEIMER”: THE MAN AND THE BOMB
原爆のもたらした痛ましい現実を世間が知ることになったのは、ジャーナリストのジョン・ハーシーが被爆者を追った46年発表の生々しいルポルタージュ『ヒロシマ』(邦訳・法政大学出版局)のおかげだ。
だが翌47年には、スティムソンがハーパーズ誌への寄稿「原爆投下の決定」で、原爆の投下は100万人のアメリカ人の命を救ったという政府の見解を再び主張した(ちなみに100万人という数字に根拠はなかった)。
こうして、アメリカ人の原爆の記憶を支配するストーリーが確立された。それは終戦50周年を迎えた95年も健在だった。
このときワシントンのスミソニアン航空宇宙博物館は、広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」を展示することを計画したが、そこに被爆者や戦後の核軍拡競争への言及は一切なかった。
また、終戦50周年の記念切手の図案には、きのこ雲のイラストの下に「原爆は戦争の終結を早めた」と書かれていた。昔ながらの原爆の説明から、賛否両論の相反的な要素はすっかりなくなったかのように見えた。
映画『オッペンハイマー』にも、この単純化された説明が垣間見られる。日本の被爆者のことも、トリニティ実験や戦後のマーシャル諸島やネバダ州などでの核実験で被曝した人たちのことにも全く触れていない。
それでもノーランは、道徳的な批判を加えたいと考えて、それをオッペンハイマーのキャラクターに詰め込んだ。
映画の終盤で、オッペンハイマーはアルバート・アインシュタインと架空の会話を交わし、「原子爆弾の爆発により生じる連鎖反応は、世界全体を破壊させる恐れ」に改めて言及する。「われわれは破壊した」が、映画における彼の最後の言葉だ。
世論調査によると、原爆投下に対するアメリカ人の意識は、ゆっくりとだが変わってきた。45年8月の時点では、85%がその決定を支持したが、2015年は57%、18~29歳では47%だった。依然として高い水準だが下落傾向にあるのは間違いない。
核戦争の瀬戸際にある世界で
今や放射能の影響や被爆者の苦しみはアメリカの大衆にも知られており、映画の中でオッペンハイマーが、皮膚が垂れ下がった被爆者の姿や、黒焦げの死体を踏み付ける自分の姿を思い描くシーンの意味を理解できるだろう。