少子高齢化の「漆器の里」を襲った非情な災害――過酷すぎる輪島のリアルから見えるもの
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彼女は地震後、ぜんそく持ちの母をなんとか連れ出し、滑りやすい瓦とガラスの上を踏み締め道路に出た。しかし車がないと、母を連れて避難所まではとても逃げられない。通りがかりの車に乗せてもらってなんとか避難することができた。
今いる避難所は衛生環境も良くないが、彼女は金沢には避難しない。家も心配だし、高齢の母もいる。輪島出身の夫と能登町出身の自分は、金沢をよく知らない。あんな状態でも家の中には大切なものが残っている。そう語る彼女に、通りすがりの近所の人は「どろぼう出てるって聞いたから気を付けて」と呼びかけた。
助け合う在宅避難者たちの今
車があるかどうかは、避難者の生活を大きく分ける。給水車から水の配給があっても、車がなければ何度も取りには行けない。
県立輪島高校近くのドラッグストア、ゲンキー河井店は1月2日から営業し、天井が一部剝がれ落ちながらも青果物や薬、弁当などをそろえて営業を続けていた。だが、車を失った人は買い物に行くことも難しい。
そんな今、住人たちは声をかけ合いながら、情報を共有しながら、助け合って生活している。14年前に建てた自宅が倒壊を免れ、夫と息子と在宅避難を続ける向(むかい)静枝(74)は、庭から出る井戸水を焼酎の大容量ペットボトルに入れて近所に配っている。
「やっと分かったわ、水のありがたさが。薬飲むのにも水がいる。ここに越してきたとき、パーマ屋さんの先生がここ井戸あるけど、粗末にせんとけって。猫が来たら落ちりゃ悪いもんで、父ちゃんとふたを買ってきてすぐにのせて、ずっと守っとった。こんなときに役に立ってん」と向は言う。
向家の井戸水は飲むことはできないが、トイレを流すのに使える。近所で在宅避難している住人宅にも配り、一つ下の世代のこの住人からは、あそこの給水車は昼には水がなくなる等の細かい情報をいろいろと教えてもらっている。高齢者は情報弱者になりやすく、情報を積極的に取りに行ける世代の助けはありがたい。
向は19歳で嫁いでから65歳まで土木関係で働き、07年の地震の2年後に輪島市高洲山の麓にあった以前の自宅が裏山の土砂崩れでつぶれ、元の場所に建てるのが恐ろしくてこの地に引っ越してきたという。そしてまた被災。
「こんでいいっちゅうことはねえけど、死ぬまでがんばらなね。そうやろ、たくさん亡くなった人、けがした人おるけど、おらぁぴんぴんしとる、五体満足や。これから、まだまだ続くもんね。またがんばる。負けとられん」。向はそう言い、目からほろほろと涙を流しながら顔を上げた。