【解説】最新の研究で解明進む、ネアンデルタール人の新事実──そして我々のこと
WHAT MAKES US HUMAN
運命を分けたのは社会性?
ネアンデルタール人には象徴的思考の能力があったのではという非常に興味深い仮説は、1990年代にフランス南西部の洞窟の奥深くで、折れた石筍(せきじゅん、洞窟の天井から落ちるしずくに含まれる石灰分が固まったもの)を積み上げて作った半円形の低い壁のような構造物が見つかったことに端を発する。2016年にこの構造物は、約17万6000年前のものだと突き止められた。
構造物のある場所は洞窟の入り口から300メートル以上離れていて、途中には四つんばいにならないと通れない狭い場所がいくつもある。見つかった構造物は6つで、それぞれ約400個の石筍が積み重ねられていた。石筍の大半が部分的に焼け焦げていたことから、構造物の内側では火がたかれていたとみられる。
「この謎めいた構造物はあまりに奇妙。日常生活との関連では説明できない」と、ペティットは言う。「明らかになりつつあるネアンデルタール人の知的好奇心について何かを物語っているに違いない。新しいデータが増えるほど、ネアンデルタール人は認知的にも行動的にも私たちに近いことが分かってくる」
だがグリーンもペーボも、現生人類がネアンデルタール人を圧倒したのは運がよかっただけだという考えには否定的だ。現生人類の先祖たちがアフリカを出て他の地域に広がり、新しいさまざまな技術を開発していったスピードはあまりに速く、先祖たちを大きく有利に導いた何かがあったはずだと言うのだ。
「長い長い年月、歴史のどの時点を取っても、初期のヒト属の数が数十万人を超えることはなかった」と、ペーボは言う。「技術は非常にゆっくりと時間をかけて進歩した。(生息域の)広がり方も他の哺乳類と変わらなかった。対岸に陸地が見えないのにわざわざ海や川を渡ったりはしなかった。そして遅くとも7万年前に現生人類が登場した。状況が変わり始めたのはそこからだ」
約10万年前に初期の現生人類が使っていた技術は、同時期のネアンデルタール人と大差なかった。だが5万~10万年前のいずれかの時点で「文化の発達が急加速」したと、彼は言う。ネアンデルタール人は現生人類と少なくとも1万年は共存したが、間もなく姿を消した。
「西ヨーロッパだろうが中央アジアだろうが、(使われていた)技術はどこのものも非常に似ていた」と、ペーボは言う。「だが現生人類では、技術は非常に急速に変化するようになり、地域ごとの違いが生じるようになった。専門家も道具を見ただけで、南ヨーロッパのものに違いないとか、中東のものだろうと言える」