熱湯の食事を「2分で食え」、缶詰のような収容所...ウクライナ人捕虜、飢餓・拷問・洗脳の実態
HUNGER IS A RUSSIAN WEAPON
捕虜交換で解放され救急隊員の肩を借りて歩くウクライナ兵(北部チェルニヒウで、昨年9月) PRESS SERVICE OF THE STATE SECURITY SERVICE OF UKRAINE-REUTERS
<その人数も処遇も、誰にも分からない。ロシアが捕虜としたウクライナ兵に何をしているのか。帰還兵に聞いた>
いったいどれだけのウクライナ人がロシア側の「捕虜」となっているのか。その数は誰にも分からない。
国連などの国際機関も、現状では捕虜の収容施設にアクセスできていない。だから捕虜の数や処遇、健康状態に関する具体的な情報は、両国間の捕虜交換で解放された数少ない兵士たちから聞き取るしかない。
そこで本誌は、捕虜となったウクライナ兵の親族2人と、昨年11月に捕虜交換で解放された兵士1人に話を聞いた。
この兵士は東南部の要衝マリウポリで、今や有名なアゾフスターリ製鉄所に立てこもり、ロシアの精鋭部隊を相手に82日間も抵抗を続け、5月16日に投降したアゾフ大隊の生き残りだ。
3人は口をそろえて、戦争捕虜に対する深刻な虐待が組織的に行われていると非難した。だが今は、誰もそれを止められない。
アゾフスターリの防衛隊がロシア軍の精鋭部隊に対峙し、彼らを南部戦線に引き付けていなかったら、首都キーウ(キエフ)は占領されていたかもしれない。これは多くの専門家が認めるところだ。
だが3カ月近い激闘で彼らが失ったものは大きい。しかも最後まで生き残り、投降した260人余のウクライナ兵にはさらに苛酷な収容所の日々が待っていた。
「捕まっている間に体重が30キロも落ちた」
半年ぶりに解放されたドミトロはそう言った。
「捕虜には1日3食というのが建前だった。しかし食べる時間が与えられなかった。食堂に一度に200人も集め、2分間で食えと言われた。熱湯を張ったどんぶりにジャガイモ1個とキャベツ1枚が入ったやつだ。急いで残らず食おうとすれば口の中をやけどする。ふうふう言って冷まそうとすれば、食べる時間がなくなる」
しかも、とドミトロは言う。「2分がたつと、奴らは残り物を全てぶちまけるんだ」
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「オイルサーディンの缶詰」
ドミトロが入れられたのは、ロシア支配下のウクライナ東部ドネツク州オレニフカ近郊にある収容所。昨年7月29日に建物の一つで原因不明の爆発があり、少なくとも数十人のウクライナ人捕虜が死亡したと伝えられる。
しかしドミトロが言うような環境だったとすれば、死者数はもっと多いと考えるべきだろう。
「もともと200人収容の兵舎だった建物に、私らは750人も詰め込まれた。どこの建物も似たようなものだった」
オイルサーディンの缶詰を想像してくれ、とドミトロは続けた。
「コンクリートむき出しの床に、ぎっしり700人が並べられた。1人が寝返りを打とうとすれば、みんなが同じようにしなければならない」