戦局を変えた13の出来事 写真と動画で振り返る、ウクライナ侵攻300日の攻防【保存版】
Ukraine War: 30 Moments That Shaped the First 300 Days
4月14日:巡洋艦モスクワの沈没
Sinking The Russian Pride, Ukraine Describes How Its Military Struck Moskva Missile Cruiser Without Any Help From NATO pic.twitter.com/77fel9Ro88
— Angela Walker (@AngelaW70903357) December 19, 2022
ロシアの黒海艦隊の旗艦である誘導ミサイル巡洋艦「モスクワ」が、ウクライナの対艦ミサイルによって撃沈された。ウクライナ政府にとっては宣伝効果の高い大勝利であり、ロシア政府にとっては大きな屈辱だった。第二次大戦以降、沈没したロシア艦船のなかで、モスクワは最大級の巡洋艦だった。その後、ロシアの艦船はウクライナ沿岸からの砲撃を避けるために黒海での活動を制限するようになり、南部の港湾都市オデーサに対する水陸両面からの侵攻の可能性はかなり減少した。7月に海北西部の小さな島、スネーク島を占領していたロシア軍が撤退したのも、ウクライナの攻撃を警戒してのことだった。
5月17日 アゾフスターリの降伏
ウクライナの港湾都市マリウポルは、2月24日の侵攻開始後まもなくロシア軍に包囲された。その時から、ウクライナの準軍事組織アゾフ連隊とウクライナ軍海兵隊は、同市の広大なアゾフスターリ製鉄所をロシア軍の攻撃から守ってきた。マリウポルの戦いは、生き残った守備部隊の降伏によって終結したが、街のほとんどが破壊され、数万人が殺害されたと考えられている。ロシア側と見える以下のツイートは、アゾフ連隊を「ネオナチ」と呼んでいる。
#Russia | The Russian Ministry of Defense reports the liberation of the Azovstal steel plant in Mariupol (eastern Ukraine), following the surrender of a major neo-Nazi ringleader and all Ukrainian servicemen. https://t.co/f1pGs3GnBX
— teleSUR English (@telesurenglish) May 21, 2022
生存者は捕虜となり、一部は後に捕虜交換で解放されたが、ロシア軍に拘束されたままになった人もいる。2022年7月29日に、ウクライナのオレニフカ付近にあるロシア軍の捕虜収容所が爆発し、53人が死亡した。ロシアはウクライナの大砲による攻撃が原因だと非難し、ウクライナは、ロシアが囚人の処刑と拷問の証拠を隠蔽しようとしたものだとしている。
7月3日 リシチャンスク陥落
ロシア軍は7月上旬にウクライナ東部リシチャンスク市を占領した。この街はルハンスク州でウクライナ人が支配する最後の都市だった。ロシア軍はこの夏、東部ドンバス地域の支配を固めるために、圧倒的な砲撃で攻撃をしかけてきたが、リシチャンスク占領はその集大成となった。
9月8日 バラクリアの奇襲
9月初旬、ウクライナ軍はハルキウ州ハルキウ市周辺で奇襲による反撃を開始し、同州バラクリアでロシア軍の戦線を突破。敵陣の奥深くまで進入し、最終的に約500の集落と1万1660平方キロ以上の領土を解放することに成功した。その頃、ロシア軍司令官は南方戦線に集中し、ウクライナが宣言したヘルソン反攻に備えていた。ハルキウにおけるロシア軍の戦線は崩壊し、部隊は東に逃亡した。数日後、ロシア政府は自軍にハルキウ地方からの撤退を命じた。