最新記事

スポーツ

社会問題に無関心なのにプライドだけは高い...... 日本のスポーツ選手が「鼻持ちならない存在」に陥る理由とは

2022年9月23日(金)13時40分
平尾 剛(ひらお・つよし) *PRESIDENT Onlineからの転載

山奥から地方都市、首都から外国へと地理的な移動を、また貧困層から富裕層へと社会的な移動を繰り返してきたパッキャオは、「生きている世界」と「生きてきた世界」がつねにズレている。このふたつの世界のズレこそが彼の諸活動の動因であると石岡氏は言う。

「生きている世界」から「生きてきた世界」を見つめ、また「生きてきた世界」から「生きている世界」を見つめ返す。この「二重のレンズ」こそ、アスリートが社会性を獲得するためにもち合わせていなければならないものである。

影響力のある現役時代こそ積極的な発信をすべき

先に示した通り、私は現役時代に然るべき社会性を身に付けられなかった。不本意なかたちで現役を引退し、その後の人生をどう生きるかについて真剣に考えたあとで、ようやく「二重のレンズ」を手に入れた。

当時はSNSなどなく、いまほどカジュアルに社会に向けて発信できる環境は整っていなかった。まだブログもない2002年にホームページを自作し、そこで拙い文章を書いてはいたものの、その内容は日記の域を出ていなかった。ほぼ趣味として駄文を公開していただけで、いま、インスタグラムやツイッターで洋服や食事について発信するアスリートとなんら変わりない。

これを差し引いたとしても、現役選手の立場からオリンピックの構造的な問題に踏み込み、それに異を唱えることなどできなかっただろう。私もまた、社会性が欠如した現役スポーツ選手に過ぎなかった。

もしあのとき社会を広く見渡し、自らのすべきことをわかっていたら。いまより社会に影響を与えられる立場で社会的な発言ができていたら。この後悔がずっとある。だからこそパッキャオ氏をリスペクトするとともに、現役アスリートに呼びかけている。社会から注目を浴び、その発言に影響力があるいまだからこそ積極的に行動すべきであると。それができれば現役時代と引退後がシームレスになり、セカンドキャリアの選択肢もまた広がるだろう。

また、然るべき社会性を身に付け、おかしなことにはおかしいと声を上げるアスリートが増えればスポーツは変わるはずだ。主催者やスポンサーはもちろん、社会は実力も人気もあるアスリートの声を無視することができないからだ。

スポーツ界と実社会を意識的に行き来する

「Black Lives Matter運動」(BLM運動)に賛同の意を示した、女子テニスの大坂なおみ選手を思い出せばそれは明らかだろう。他にも、試合前の国歌斉唱の際に起立することを拒否し、片膝をついた姿勢で反人種差別を表明したアメリカンフットボールのコリン・キャパニック選手や、自身がレズビアンであることを公表し、セクシュアル・マイノリティに関わる問題だけでなくジェンダーや人種にもとづく差別にも発言や行動を重ねる、女子サッカーのミーガン・ラピノー選手がいる。

彼、彼女らに倣い、ここ日本でも声を上げるアスリートが増えれば、スポーツの社会的価値は高まるだろう。

井の中の蛙が大海を知るためには、俯瞰的な視座からその井を見つめる想像力がいる。井の外側に広がる大海(社会)は、自らが依って立つ井をつぶさに観察することで初めてその存在があらわになる。囲い込まれたアスリートが外の世界を知るには「二重のレンズ」を通さなければならない。海を越えるほどの地理的な移動を伴い、極度の貧困から身を立てたパッキャオ氏は無意識的にそれができた。だが、そうでない者は意識的に見つめ返す必要がある。

ことあるごとに立ち止まって、その歩みを俯瞰する。現在から過去を眺め、過去から現在を眺め返してみる。めまぐるしく移り変わる「景色」を観察しながら、競技人生をいままさにたどりながらその軌跡を描く。また、スポーツの外にあるコミュニティーとその土台となる社会に意識的に目を向ける。こうして時間と空間を行き来することで、自らの立ち位置やすべきことがおのずと浮かび上がるはずだ。

これが、私の考えるアスリートが社会性を獲得するためのひとつの方法である。誠に僭越ながら自らの経験とパッキャオ氏の生きざまを照らし合わせて、そう確信している。

平尾 剛(ひらお・つよし)

神戸親和女子大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。現在は、京都新聞、みんなのミシマガジンにてコラムを連載し、WOWOWで欧州6カ国対抗(シックス・ネーションズ)の解説者を務める。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)がある。


※当記事は「PRESIDENT Online」からの転載記事です。元記事はこちら
presidentonline.jpg




今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 6
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 7
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 8
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必…
  • 9
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 10
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ...犠牲者急増で、増援部隊が到着予定と発言
  • 4
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    墜落して爆発、巨大な炎と黒煙が立ち上る衝撃シーン.…
  • 9
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 10
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 10
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中