子供が「歩き回る自由」を守る、日本の政策・価値観・都市計画
FREEDOM FOR CHILDREN
小学生が自分で歩いて登校する光景は北米ではほぼ見られなくなった HAJIME KIMURA FOR NEWSWEEK JAPAN
<「日本は治安が良い」と言われるが、その1つの側面は子供が事故で死亡する確率が低いこと。北米からすれば驚愕のこの安全性は、いかにして保たれているのか>
(※本誌8月9日/16日号「世界が称賛する日本の暮らし」特集より)
京都の小学校に初めて調査研究の許可をもらいに行ったとき、校長と交わした会話は、今も忘れられない。
「子供たちはどうやって登校しているんですか」と私が聞くと、校長は一瞬言葉に詰まってから「歩きです」と答えた。
びっくりした私が「全員?」と畳み掛けると、「ええ」と、今度は校長が少し驚いた様子で答えた。「ほかにどうやって学校に来るんですか。みんな歩きですよ」
この校長にとって、子供が歩いて学校に来るのは当たり前のことだった。でも、アメリカや、筆者の出身地であるカナダでは違う。だから校長の答えに「すごい!」と思ったけれど、すぐに「でも、どうしてそんなことが可能なんだろう」という疑問が頭をもたげてきた。
私の研究から分かったことは、日本が政策的に、子供が歩き回る自由を守ってきたことだ。それは子供の自由だけでなく、ほかにも多くの恩恵をもたらしていることが分かった。
少し前の研究だが、子供が1人で学校や友達の家や公園に行けるようになると考えられている年齢は、日本では6〜7歳、イギリスでは10〜12歳だった。日本の子供たちは超人か何かなのか。
もちろんそんなことはない。彼らもまだ子供だ。ただ、子供が1人で動き回れるはずだという期待は、社会の仕組みにも影響を与えているようだ。
例えば、なぜ日本では、北米で一般に行われているように、親が子供を車で学校に送らないのか。それは、徒歩で通学する子供に危険をもたらすからだ。
子供を車で送迎する親による危険運転は、さまざまな研究で報告されている。例えば、子供が車から降りると、多くの親は前方ではなく子供のほうを見たまま車を発進させようとする。学校のすぐ横に車を着けるために、直進路でいきなりUターンをする親もいる。これはよその子供たちにとってはとても危険だ。
日本では、子供の登下校時の交通事故を防ぐためにたくさんのルールや慣行がある。親が車で送迎することは原則的に禁止されているし、通学時間帯には学校周辺の車道に制限がかけられ(カナダのように学校のあるブロックだけ減速が必要になるだけではない)、住宅街にも厳しい速度制限がある。
さらに都会でも地方でも、集団登下校を実施している学校が多い。
これは多くの問題に対する日本のアプローチと一致するようだ。すなわち個人の判断に任せると悪化する問題を、地域で解決しようという考え方だ。カナダをはじめとする多くの国と違って、日本では子供が通学途中に事故に遭って死亡することが非常にまれなのも、この仕組みと関係があるようだった。
挨拶の偉大なる社会的価値
エンジニアだった私が、1年間異文化を体験しようと日本にやって来たのは2002年のこと。新しい言語を学びたいという気持ちもあった。