国民を「こじき」にした一族支配、行き過ぎた仏教ナショナリズム──スリランカ崩壊は必然だった
A Long and Winding Road to Ruin
そもそも、危機の源は忌まわしいエスノクラシー(特定の民族による少数民族の強権的支配)にある。人口の75%を占めるシンハラ人は、この島に定住した最初の民族だと自称している。その伝承によれば、総人口に対して約15%のタミル人や約10%のイスラム教徒など、その他の民族は多数派のお情けでここに暮らしていることになる。
このイデオロギーは神話と組み合わされ、仏教信仰に支えられた民族の物語を紡いできた。スリランカの国旗を見れば一目瞭然だ。勇気の印である剣を持つライオンが中央に位置して多数派民族を表現し、その脇に少数派民族を表す色違いの縦じまが並ぶ。それはスリランカという国がシンハラ人仏教徒の国であることを象徴している。
こうしたエスノクラシーの成立は、1956年当時のバンダラナイケ首相がシンハラ語を唯一の公用語と定めたことに起因する。その後、歴代の政権は少数派タミル人を一貫して冷遇してきた。
しかし英国統治時代から、タミル人は少数派のわりに数多くの公職に就いていた。流れが変わったのは、シンハラ語が公用語になってから。ほぼ15年で形勢は逆転した。1956年には官僚の30%、軍人の40%を占めていたタミル人が、70年には官僚の5%、軍人の1%に減っていた。
またシンハラ人の社会経済的進出を妨げるという理由で英語教育が廃止された影響も大きい。おかげでスリランカ人は、アジアでの英語力による優位性を永遠に失った。
官僚機構も骨抜きにされた。かつての官庁は能力主義で、官僚は職務に私情を挟まず公平だったが、シンハラ民族主義の政府は自民族の利害を最大限に優先させた。
大学では住居を整備しないことでタミル人の受け入れ人数が絞られ、一方で理系学部への入学試験ではタミル人にシンハラ人より高い点数を求めた。知識や技能より、政治と民族が優先された。
実力主義が通らず、専門知識も尊重されない世の中を見限る有能な人材は多かった。高潔で実力主義のシンハラ人は海外へ脱出した。ゆがんだ民族主義が頭脳流出を招き、実務を担う官僚の水準が下がった。一方で、タミル人には選択の余地がなかった。
こんな民族差別に怒ったタミル人は、分離独立を求めて30年近く戦った。この内戦はシンハラ人の勝利で09年に終結。以来、マヒンダ・ラジャパクサ率いる政府は仏教徒の過激派と組んで、イスラム教徒への憎悪をあおってきた。
少数派タミル人の排斥こそ愛国的行為。そんな理屈でラジャパクサ兄弟はシンハラ人の仏教ナショナリズムと人種差別を結合させた。
その後、マヒンダ・ラジャパクサは中国の口車に乗って、役にも立たない無用な開発プロジェクトに手を出した。必要な資金は中国から借り、その返済には「借り換え」の手法を用いるつもりだった。
観光や海外在住者からの送金で得た外貨を利子の返済に充て、足りなければ借り換えればいいと考えていた。最悪だが、実はスリランカの対外債務に占める中国の割合は10%程度にすぎない。だから当座の問題は中国に対する債務残高の額ではなく、中国の融資に潜む隠された意図の解明であり、中国マネーが誰の懐に納まったかの究明だ。