戦争、インフレ、食糧不足......戦後最大の世界経済危機が迫っている
DIVIDED AND POWERLESS
もちろん、いつまでも同じ体制や機関が効果を発揮するというものでもない。世界各国の政府は歴史上、既存の組織では古くて対応が不十分だと分かると、創意工夫を凝らして新たな協力の道を切り開いたものだ。
例えば1970年代にも、今日の難題に負けないほど危険な情勢があった。
インフレの暴走、ベトナム戦争、中東戦争、石油ショックによる世界的なエネルギー価格の高騰、ブレトンウッズ体制下の金本位制の崩壊、米政界を揺るがしたウォーターゲート事件などが相まって、世界的に不安定と低成長の時代がもたらされた。
各国政府は初め、これら諸問題に取り組むために十分に協力することができなかった。もはや欧米流の資本主義では政治も行政も経済危機に対処できないのではないかと、「正統性の危機」が論じられもした。
だが1971年にアメリカのニクソン政権が金・ドルの交換を停止したのを機に、西側主要国の財務相が鳩首協議。新たな通貨制度の構築に向けて力を尽くした。その努力が実を結び、1975年に初の先進国首脳会議(G6)が開かれたのだった。
首脳たちは各国の低迷する経済を立て直すため、補強し合う手段を見いだすことを自らの課題とした。このグループは後にカナダが参加してG7となり(さらにロシアを加えてG8となるも2014年のクリミア併合後にロシアを除外)、西側の主要経済国の間で緩やかな調整機構として今日も存続している。
そんなG6サミットから20年ほどの間は、割と平穏無事な世の中が続いた。しかし1994~95年のメキシコ、1997~98年のアジア、1998年のロシアなど、相次ぐ通貨・金融危機で不安定になったところで、1999年にG20(20カ国・地域)首脳会議(当初は財務相・中央銀行総裁会議)が誕生した。
その頃までには新興経済国が台頭していたので、G20の発足はそういう現実の変化をなぞるものだった。G20には中国、インド、ブラジル、メキシコ、インドネシアなどが参加し、以前の富裕国クラブよりも大所帯となって、1990年代の経済の在り方を体現する集団へと発展していった。
G7と同じように財務相・中央銀行総裁会合が定期的に開かれていたが、2008年の世界金融危機で首脳会議に格上げされた。
対ロ制裁が招く西側の分裂
世界金融危機とその余波の中で、G20は経済成長を回復するための世界的な取り組みの中心となった。協調下の景気刺激策で世界経済の回復に拍車を掛けるとともに、金融の規制強化を図り、IMF(国際通貨基金)の融資枠も広げてきた。
むろん、このような協力の仕組みから大胆な変革が生まれることはめったにない。G7にもG20にも決定権はなく、互恵的な政策を各国に働き掛けるだけの場だ。そういう場で可能なのは事態の悪化を防ぐことくらいであり、危機を乗り越える壮大な計画の立案は無理だ。