基地と経済、日本政府との交渉、安倍-菅ラインの歴史認識、コロナ禍......沖縄県政史を読み解く
WE NEED TO SERVE TWO ENDS
――振興予算を組む日本政府の影響はどうか。
日本政府が振興予算を、沖縄に基地を受け入れさせる政治的テコにしてきたことは間違いない。特に「辺野古移設が唯一の解決策」とする安倍晋三・菅義偉の両政権は、辺野古移設反対を訴えて圧倒的な支持を集め2014年に誕生した翁長県政を脅威とみて、振興予算によって揺さぶりをかけた。
沖縄自民党の大物議員だった翁長が反旗を翻し、革新陣営と一体化し「オール沖縄」を結成したようにみえるが、実際に重要だったのは金秀グループを筆頭に有力県内企業が翁長の主張を支持し、「オール沖縄」を支えていたことだ。
もともと、首相になった橋本龍太郎、小渕恵三といった自民党保守本流の基本的なスタンスは沖縄の歴史に深い理解を示し、「すまないが米軍基地は置いてほしい。その代わり、振興予算を付けて沖縄の経済発展を支援する」というものだった。
だが、安倍-菅ラインにはこうした歴史認識がない。翁長と日本政府の交渉が常に空回りした大きな理由だ。
翁長体制になっても、辺野古移設受け入れを表明した仲井真時代から政府からの振興予算は大きく減らされず、3000億円超で推移している。問題は安倍-菅ラインで組んだ振興予算で潤う受益層と、そうではない層が分かれてしまったことだ。
沖縄県内の分断を促すような振興策を続けていたとみることもできる。観光が好調だった時期は耐えることができた企業も、新型コロナ流行以降は観光業が動かず、かなり苦境に立たされた。翁長-玉城体制を支えた金秀グループが「オール沖縄」から離脱した背景もここにある。
――復帰50年の今年は県知事選が控える。争点はやはり経済となるのか。
大田体制以降「基地も経済も」が沖縄の争点だったとみることができる。前回の県知事選における玉城知事誕生は、急逝した翁長の弔い合戦になったことが大きな理由だが、それだけでは説明できない。辺野古移設問題だけでなく、若い世代の雇用や子供の貧困の解決をより強調したことが大勝につながったとみている。
ところが新型コロナ禍もあり、この4年間で経済は大きく冷え込んだ。貧困対策は思ったように進んでおらず、企業の「オール沖縄」離れなど逆風は既に吹いている。報道各社の出口調査によれば、昨年の衆院選も若年層に限れば各選挙区で自民党系候補のほうが支持を集めていた。
沖縄県知事が常に向き合ってきた課題の1つに「自立経済」がある。沖縄に産業を生み出し、より強い経済を確立して本土と対等な関係に持っていく理想は果たされていない。これは保守派も抱える課題だ。保革ともに安倍-菅政権が作った「辺野古移設が唯一の解決策か否か」という論点にとらわれすぎている。
都市部の上空を米軍機が飛び交う普天間飛行場が危険だという認識は沖縄の両陣営は共に持っているはずだ。早期の危険性の除去に加え、普天間返還後の開発ビジョンを描く必要があると考えている。2020年代も「基地も経済も」が重要な論点となっていくだろう。
野添文彬(沖縄国際大学法学部准教授)
滋賀県出身。一橋大学大学院法学研究科博士課程修了。16年より現職で、専門は日本外交史、国際政治学。著書に『沖縄米軍基地全史』などがある。フォーサイトに「知事たちの沖縄復帰50年」を連載中
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