命がけの逃避行...その先でウクライナ難民たちを待っていた「避難生活」の苦難
NO WAY HOME
市当局は長期にわたって滞在する難民がどのくらいいるか把握できていないが、広報担当は「大半」がそうなるだろうと認める。新たに流入してくる難民は、いい仕事が見つかりそうな大都市に引き寄せられていると、クラクフ市ではみている。
戦後はさらに難民が増える
難民を受け入れる都市に共通する悩みは、どうやって環境になじんでもらうか。ウクライナの西部国境から80キロほどのポーランドのルブリン(人口34万人)でも、住民の統合が大きな課題だ。クリストフ・ジュク市長によれば、ルブリンには約3万人のウクライナ難民が暮らしている。
「ルブリンの暮らしに円滑に溶け込んでもらうような方策が必要だ」と、ジュクは言う。「避難してきた人たちの文化や多様性を尊重しつつ、彼らにはコミュニティーの重要な一員になってもらいたい」
いまルブリンにいる難民は、今後もとどまるだろう。「この町にいるのは、ほかに行く当てがない人や、事態が落ち着いて帰国するときのために国境の近くにいたい人などだ」と、ジュクは説明する。「あるいは、祖国の自由のためにウクライナに残って戦う夫や父親、息子の近くにいたくて、国境から離れたくないという人たちもいる」
戦闘が終われば、国外の難民はさらに増えるかもしれない。ロシア軍の侵攻後、ウクライナ政府は兵力確保のため18~60歳の男性の出国を禁止した。また国の呼び掛けに応じて、外国から多くの男女がウクライナに帰ってきた。
「やがてルブリンには、いま前線で戦うウクライナ人男性が合流する」と、市長のジュクは言う。「戦闘が終われば、ルブリンで暮らすウクライナ人は1万~2万人増えるだろう。定住する人も出てくる。この町で働き始めたり、学校に通うとなると、破壊されたウクライナに戻るのはますます難しくなる」
ウクライナのシンクタンク、ラズムコーウ・センターの3月の調査によると、難民の79%が戦闘が終わればウクライナに帰るつもりでいる。10%は国外にとどまる意向だ。
だが、帰るべき場所がなくなる人もいるだろう。民間人の居住地区の被害状況は正確に分からないが、荒廃の規模は第2次大戦後のヨーロッパで最も深刻なものかもしれない。
バレリヤ・ファデエワは、ウクライナの「国内避難民」。14年にポーランドに留学するためドネツクを離れたが、その後ドネツクがロシアの支援する分離主義勢力に占拠され、故郷に帰れなくなった。
最終的にキーウに移住したが、ロシアの侵攻でさらに西に追いやられた。侵攻から数週間後、ファデエワはキーウを出発する満員の列車に乗り込んだ。ロシア軍が迫り、ミサイルが町を揺らすなか、彼女はポーランド国境近くのリビウまで11時間、車内で立ったまま過ごした。