ロシア人YouTuberが「炎上」する理由を本質から考える
先述のロシア人批判はもとより、ネット上に顕著な"叩けるものは叩く"という発想は、すべてここに由来するのではないか。
そしてコロナ禍においては、「弱者」の定義が変わってきたことを著者は指摘している。
震災などの場合には、あくまでもその犠牲者である被災者が弱者として認定される。しかしコロナ禍の場合には、その直接的な犠牲者である感染者だけではなく、経済活動の停止に伴う間接的な犠牲者として、営業を続けられなくなった店舗や、顧客を失った業者、さらにその取引先など、さまざまな存在が弱者の定義に含まれる。というよりもむしろ弱者を定義すること自体が困難になってしまっている。しかも災禍が世界中に広がっているため、極言すれば人類の誰もが潜在的な犠牲者として位置付けられてしまう。このように弱者の定義がはっきりしないため、そもそも誰に配慮すべきかがわからなくなってしまったのではないだろうか。(36~37ページより)
弱者の定義がはっきりせず、誰もが潜在的な犠牲者であるのだとしたら(おそらくそのとおりなのだが)、それはとても恐ろしいことだ。
自分がそのような存在である(らしいという)ことを心のどこかでうっすらと意識していながら、それを認めたくない人たちは、社会の中での自らのあり方を肯定するために矛先を他者に向けるのだろうから。
つまり、そこに「炎上」が生まれる。
新型コロナや戦争など、どうしようもない不安を誰もが抱える時代に、感情のはけ口として誰かを攻撃してしまうのは仕方のないことなのかもしれない。
しかし、だからこそ各人がどこかのタイミングで自分自身に歯止めをかけるべきなのではないか。「自分たちとはどこかが違っている他者」を非難してみたところで、結局のところ何も変わりはしないのだから。
『炎上社会を考える――
自粛警察からキャンセルカルチャーまで』
伊藤昌亮 著
中公新書ラクレ
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[筆者]
印南敦史
1962年生まれ。東京都出身。作家、書評家。広告代理店勤務時代にライターとして活動開始。現在は他に「ライフハッカー[日本版]」「東洋経済オンライン」「WEBRONZA」「サライ.jp」「WANI BOOKOUT」などで連載を持つほか、「ダ・ヴィンチ」などにも寄稿。ベストセラーとなった『遅読家のための読書術』(ダイヤモンド社)をはじめ、『世界一やさしい読書習慣定着メソッド』(大和書房)、『読んでも読んでも忘れてしまう人のための読書術』(星海社新書)、『人と会っても疲れない コミュ障のための聴き方・話し方』(日本実業出版社)など著作多数。新刊は、『書評の仕事』(ワニブックス)。2020年6月、日本一ネットにより「書評執筆本数日本一」に認定された。