戦争はいずれ終わるが「道徳的排除」は世界から消えない
集団アイデンティティーが持つ最も危険な側面の1つは、心理学者が「道徳的排除」と呼ぶものだ。特定のグループに所属するか、そのグループに自分のアイデンティティーを限定することによって自身の考えや精神を定義すると、他のグループとの競争と敵意の感覚が自動的に形成される。この物事の見方は、人々が「グループ内かグループ外か」に基づいて社会や人々を分類し、簡単に対立につながる精神を生み出すことになる。ウクライナの中でも地方によって、ロシアへの帰属感を持つ親ロシア派と、自国やヨーロッパに帰属感を持つウクライナ人がある今の状況を考えれば、集団アイデンティティーの危険性が見えてくる。
特に問題となるのは、道徳(モラル)のダブルスタンダード(二重規範)による判断だ。これは自分たちが帰属している集団のメンバーにのみ「道徳的基準/モラル・スタンダード」を適用して、同じモラルの規範を他の集団メンバーへ適応せず排除しようとすること。つまり正義や平等、安全、自由などの人権やモラルを自分にだけ当てはめる。今の状況はまさにそうである......つまり、ロシアのウクライナ人への一種の道徳的排除だ。
しかし、ダブルスタンダードによる行動はロシアだけでなく、ヨーロッパやアメリカにも多く見られる。ロシアのウクライナ侵攻を受け入れないとしながら、ロシアのシリア介入を認め、イスラエルによるガザ地区への攻撃も別問題とするなど、国際社会における理不尽なダブルスタンダードの例は後を絶たない。
ここで思い出すのは3年前にアフガニスタンで殺害された中村哲医師の言葉である。彼はさまざまな対立の元は国際社会が強いるいろいろな形のダブルスタンダードだとして、常に非難していた。2001年9月の同時多発テロを受け、アメリカは10月にアフガニスタンに対して空爆を行った。そのときも中村医師は、超大国アメリカの武力による解決を批判した。アフガニスタンへの自衛隊派遣についても「有害無益」だとして批判的な考えだった。
今の世界の多くの国では、「王様は裸だ」と言えない状況になっている。また、国際社会は偽善であふれている。欧米の人々が言う人権、平等、自由などは偽善にしか見えない。
ロシアが直面する最大の問題
おそらく今回の戦争はロシアの1000年の歴史の中で、同盟国なしで大規模な戦争に突入した数少ない例の1つである。ロシアがこれまでヨーロッパとの軍事衝突において一定の勝利や成功ができたのも、「敵と味方」の構図による同盟関係をうまく利用できていたからだといえる。時には味方を敵に、また敵を味方にという反対の場合もあった。ヨーロッパを親ロシアと反ロシアの二つの陣営に分割するゲームは常にあったのだ。