サンフランシスコ沖でネズミ6万匹の大繁殖 ヘリ投入の根絶計画へ
殺鼠剤の空中投下プロジェクト
計画ではペレット状の殺鼠剤をヘリコプターで空輸し、計1.3トンをファラロン諸島に空中投下する。ベイエリアの地方紙『サンノゼ・マーキュリー・ニュース』によると、ネズミ以外に毒性が極力及ばないよう、海鳥の飛来数が少なくなる11月ごろを狙う計画だ。3週間の間隔を空けて2回に分け投下する。
並行して、その他の生物が殺鼠剤を食べないよう、島に住む研究者たちがサンショウウオやコノハズクなどを可能な限り捕獲し、数週間程度は安全な環境に収容しておく。対する本土側ではサンフランシスコ湾内に汚染生物が流れついた際に備え、当局がパトロールを強化するという。海を挟んで50キロに渡り展開する大規模な作戦だ。
計画に携わる魚類野生生物局はロサンゼルス・タイムズ紙に対し、「ハツカネズミを100%駆除することこそが、生態系回復への唯一の手段です。1組でも生き残ればプロジェクトは危うくなり、信じられないほどのスピードでネズミの個体数は元に戻ることでしょう」と述べ、殺鼠剤の散布の必要性を強調する。
しかし、殺鼠剤をもってしても個体数を一時的に減らすだけであり、完全な解決にはならないと指摘する研究者もいる。すでにカリフォルニア州はブロジファクムを使用した殺鼠剤の本土での使用を禁じており、海水汚染や殺鼠剤を含んだ動物の漂着による人間への影響を懸念する声も根強い。
島々の暗い過去
今でこそ豊かな生態系を育むファラロン諸島は、暗い過去を背負ってきた。16世紀にヨーロッパ人が到達する以前、現在のサンフランシスコ付近に住むネイティブアメリカンの人々は、島々を「死者たちの島」の名で呼んでいる。
荒々しく不気味な光景が嫌われ、島に亡者の霊が棲みついているとの信仰が生まれたようだ。また、現実的に船での接近が難しいことも危険なイメージを増幅した。現在の名称である「ファラロン」もスペイン語で「突き出た断崖」を意味し、厳めしい佇まいを象徴している。
19世紀には、この小さな島が殺人劇の舞台となった。当時高値で売れた海鳥の卵をめぐり、卵回収業者のあいだで小競り合いが頻発するようになる。最終的には銃撃による死者を出す事態にまで発展した。
さらにファラロン諸島周辺は、核の海域でもある。1940年代から70年までは実験に使われた放射性物質が島周辺の海に投棄された。1951年にはビキニ環礁原爆実験にも参加した沿海域戦闘艦インディペンデンスが廃船となり、積荷の放射性廃棄物ごと近海に沈められている。
それ以降は野生動物の保護区として穏やかな時間が島に流れていたが、ここ10年ほどで前述のようにネズミの急増問題が持ち上がった。殺鼠剤の空中投下が解決策となるか、はたまた新たな汚染問題の引き金となるのか、ベイエリアの市民は固唾を呑んで見守っている。
Plan to Drop Poison on Farallon Islands to Eradicate Mice Draws Criticism