盗み出された文化財を取り戻す闘い...「やったふり」で終わらせるな
DECOLONIZING MUSEUMS
「発掘調査」という名目で盗む
さらに事態を悪化させたのは過激派組織「イスラム国」(IS)の台頭だ。ISは2014年に新アッシリア帝国の首都ニネベ遺跡があるイラク第2の都市モスルを制圧。軍資金を得るために遺跡から遺物を持ち出し、闇ルートで売りさばいた。
これに飛び付いたのは、ホビー・ロビーの社長で聖書博物館の創設者・会長でもある億万長者のスティーブ・グリーンをはじめ、裕福なキリスト教原理主義のアメリカ人だ。
遺物の密輸は厳しく監視されているため、闇の業者はたいがいフェイスブックのマーケットプレイス機能を使って欧米の買い手を見つける。そして当局の目をくらますため偽の書類や鑑定書を付けて国外に送る。
米政府がイラクに返還するのはこうした遺物だ。脱植民地主義にとって、これはささやかな勝利と言っていいが、米司法省の取り組みは不十分だ。確かに司法省は民事訴訟を起こし、盗まれた文化財を押収して返還にこぎ着けた。
だが過去1世紀余りの間にアメリカの博物館に持ち込まれたイラクの重要な文化財はほかにも多数ある。例えばニューヨークのメトロポリタン美術館が所蔵しているバビロニア出土のライオンのレリーフ。ほかにも、イラクや中東諸国から奪われた文化財は数多いが、司法省はそれらには目をつぶったままだ。
バビロニアのイシュタル門がたどった運命は、イラクの歴史の断片が欧米諸国の手に渡り、そのままとらわれている歴史を物語る。
ベルリンのペルガモン博物館には、紀元前575年頃に新バビロニアの王ネブカドネザル2世が建立した巨大な青い門と、それに続く「行列通り」が復元展示されている。これらの至宝は、現在のイラク南部バビル県から持ち出された。アメリカがイラクに侵攻する1世紀前に始まった略奪の戦利品は、「発掘」という名目で世間に受け入れられてきた。
第1次大戦でイギリスがイラクに侵攻した後、イギリスの委任統治下でイラク王国が樹立され、外国人考古学者に有利な法律が制定された。1924年にはイギリスの考古学者で紀行作家のガートルード・ベルが主導した古代文化財の保護法が成立。遺物をイラク国外に持ち出すことが認められ、シカゴ大学やオックスフォード大学、エール大学、そして大英博物館などがその恩恵にあずかった。