神は6日で世界を造ったとの「真実」を理解する意味...理不尽な世界に対峙する「神学」の力
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<「なぜ」と問う力──リベラルアーツの本質はICUの神学から学ぶ。話題の本『ICU式「神学的」人生講義 この理不尽な世界で「なぜ」と問う』の一部を抜粋紹介>
国際基督教大学(ICU)で必須教養科目の「キリスト教概論」を担当する魯 恩碩(ロ・ウンソク)教授によると、ICUのリベラルアーツ教育とは、「なぜ」の精神を持つ学生を育てることであり、そこに「キリスト教概論」の存在意義があるという。なぜか。
キリスト教になじみのない者は、信仰とは、神を賛美することと思うかもしれない。しかし、聖書を読むと、多くの場合、信仰は神に対する怒りからはじまる。創世記18章のアブラハムも、エレミヤ書20章のエレミヤも、詩編73編の詩人も、賛美する前に、神に「なぜ」と問うた。彼らは「なぜ」と問う勇気を持つ人間だった。
彼らの怒りを理解しようとし、自分もまた、「なぜ」と問う力を身につけることは、不条理で理不尽なこの世界に対峙する力を手に入れることだからだ。
「キリスト教概論」を書籍化した『ICU式「神学的」人生講義 この理不尽な世界で「なぜ」と問う』(CCCメディアハウス)より、一部を抜粋紹介する連載の最終回。『第三講 「この世界のいま」「私たちのいま」はなぜあるのか?:旧約聖書の創造信仰』より、聖書を読むときの世界の切り取りかた「事実と真実の違い」について紹介する。
第1回:自らの至らなさを自覚できるからこそ人間は偉大...現代世界の思想的土台を「神学」に学ぶ
第2回:1人の子供がいじめられ続けることで、全体の幸せが保たれる社会...「神学」から考える人権
■この世界のはじまり――創世記を読む
教授: 旧約聖書には、歴史、法律、預言、小説、詩、エッセイ、手紙など、いろんなジャンルの書物が集められています。そして、この書物の究極的な特徴は、信仰の書であるということです。聖書のいちばんの本質ですね。
では、みんなで旧約聖書の創世記1章を読んでみたいと思います。この授業での聖書の引用は、基本的に新共同訳(聖書の日本語訳の一つで、「新共同訳聖書」は日本聖書協会から出版されている)を使うことにします。
創世記1章は、実は1章で終わりません。2章3節までの記述によって、ようやく神による世界創造が完了します。というわけで、創世記2章3節までを読んでみることにしましょう。(略)
著者:魯 恩碩
出版社:CCCメディアハウス
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