メルケル後のドイツを揺るがす「極右に熱狂する」旧東独の反乱
Still Divided After 30 Years
東部ザクセン・アンハルト州でのAfDの選挙集会(今年6月) ANNEGRET HILSEーREUTERS
<極右政党が旧東独地域では第2党の地位に。再統一から30年が経つ現在も情勢に不満を抱く市民の支持を集めている理由とは>
なぜ旧東ドイツ圏では極右政党「ドイツのための選択肢(AfD)」が強いのか。6月に行われた東部ザクセン・アンハルト州での地方選挙の前夜、地元の有力政治家マルコ・ワンダーウィッツにそんな質問が飛んだ。
ワンダーウィッツはドイツ連邦政府で旧東ドイツ担当特別委員を務める男。アンゲラ・メルケル首相と同じ中道右派のキリスト教民主同盟(CDU)に属する。
少し考えてから、彼はこう答えた。そうだな、東部でAfDが強い背景には過去の強権体制がある。だからCDUのような主流派が「取り戻せる」有権者はごくわずかだ。そもそも「この人たちは独裁時代に、ある程度まで社会主義化されている。だから30年たってもまだ民主主義に達していない」。ワンダーウィッツはフランクフルター・アルゲマイネ紙にそう語った。
当然、すさまじい反発を食らった。偏見だ、上から目線だ、等々。再統一後のドイツで、旧東ドイツの市民は肩身の狭い思いをして暮らしてきた。みんな自分たちを誤解している、軽んじている。ずっと、そう思ってきた。
この暴言騒動で分かるように、ドイツの国政について語る際には旧東独圏の特殊な役割を見落とせない。もうベルリンの壁崩壊と東西ドイツの再統一から30年以上が過ぎたのに、ブランデンブルク、メクレンブルク・フォアポンメルン、ザクセン、ザクセン・アンハルト、チューリンゲンの東部5州は、いまだに「新連邦州」と呼ばれることが多い。
総選挙の行方を左右しかねない
実際、旧西独圏とは投票傾向が大きく異なる。2カ月後の総選挙の行方を左右しかねない問題なのだ。
2014年にはザクセン州を中心に、反イスラムの大衆運動PEGIDA(西洋のイスラム化に反対する欧州愛国者)が台頭した。AfDは17年の連邦議会選(総選挙)で東部を中心に躍進し、初の議席を獲得した。だから西から見ると、今も東は民主的選挙の問題児なのだ。
「(1989年に東独の市民は)自由選挙、言論の自由、移動の自由を求めて街頭に繰り出し、民主主義の権利を求めて闘った」と言うのは、南ドイツ新聞のベルリン副支局長ケルスティン・ガンメリンだ。「しかし壁の崩壊後は西側の体制がそのまま持ち込まれ、気が付けば東の市民は負け組になっていた」
「筋が通らない。彼らは実際に壁を打ち壊した勇気ある市民なのに、西側では今も敗戦国の住民扱いだ」とガンメリンは憤る。