インドのコロナ取材、欧米メディアの非常識...病室に押しかけ火葬を蹂躙
The Lurid Orientalism
火葬はヒンドゥーでは聖なる弔いの過程だ。欧米視聴者の見せ物ではない(ニューデリー、4月21日) DANISH SIDDIQUIーREUTERS
<コロナ禍のインドから報じられる火葬は宗教的な伝統。異国で起きた悲劇を興味本位で切り取るな>
多数の犠牲者を伴う悲劇を報じるとき、死者と悲しみに暮れる人々に配慮することは、ジャーナリズムの基本的なルールであるはずだ。欧米メディア(国際報道機関とも呼ばれる)は、国内では通常このルールを守るが、欧米以外の国の悲劇を報じるときは無視することが多い。
インドを襲う新型コロナウイルスの感染拡大第2波の報道は、その格好の例だろう。欧米メディアは、遺体や悲惨な光景を捉えた映像でいっぱいだ。いずれも、欧米で同じようなことが起きたときには、誌面に掲載されたり放送されたりすることのないタイプの映像だ。
これまでの新型コロナによる死者数の約半分は、ヨーロッパとアメリカで生じている。だが、欧米メディアは国内の生々しい光景を、ありのままに報じることは控えてきた。感染のピーク時でも、テレビ局のクルーが病院の救急室にずかずかと入り込み、圧倒されている医師や看護師にカメラを向けることなど、あり得なかった。
ところが今、まさにそうした映像がインドから世界に向けて配信されている。その行為が、人間の生死を分ける判断にどんな影響を与えるかという配慮は、ほぼ見られない。欧米メディアの記者たちは、家族を失ったばかりのインド人を取り囲み、愛する人の死を悼むプライベートな場面を欧米視聴者の見せ物にする。
宗教的でプライベートな儀式を蹂躙
同じ報道機関が、同じ悲劇を報じる場合でも、それが国内で起こっている場合は、ずっと慎重な配慮がなされる。
ニューヨーク市がコロナ禍のピーク時に、引き取り手のない大量の遺体を公営墓地に集団埋葬する決定を下したときは、大樹が並ぶ草地の幻想的な写真と共に報じられた。これに対してインドのコロナ禍は、ショッキングな集団火葬場の映像が、あらゆるメディアにあふれている。
屋外で薪を積んで行われるインドの火葬風景は、欧米の小説や旅行サイト、絵画のモチーフによく使われてきた。欧米メディアは今、ここぞとばかりにその光景にカメラを向けることで、ヒンドゥー教の伝統に対する視聴者の病的関心を満足させる。そこには、火葬という極めて宗教的で、プライベートな儀式を蹂躙しているという認識はない。