東京五輪は、日本が多様性を容認する社会へと変わるチャンス
リオ大会では、戦火が続いたコソボから大会初となる8人の選手団が参加し、その中の1人が柔道で金メダルに輝いた。特筆すべきは10人で結成された「難民チーム」の参加だ。選手団は、シリアやコンゴ民主共和国、エチオピア、南スーダンなどの、内戦や政情不安によって自国を追われた人たちで、そのうち8人はケニア、ベルギー、ドイツ、ルクセンブルクに難民として受け入れられ、2人はブラジルから難民として受け入れられ暮らしている。
「難民チーム」が、開会式で開催国のブラジルチームの1つ前に入場した際には、会場の人々はスタンディングオベーションで迎え入れた。独自の国旗がない「難民」をオリンピックの五輪の旗で包み込み、戦争や人権侵害の対立軸にオリンピックがあることを強く印象付けた。
大会中に印象に残る場面は他にもあった。女子ビーチバレーのエジプトとドイツの対決もその一つだ。身体の過剰な露出を良しとしないイスラム教徒の選手が身体を隠すヒジャブで登場し、最小限にしか体を覆っていないビキニ姿のヨーロッパ選手と堂々と戦った。
最終日に行われた男子マラソンでは、エチオピア代表のフェイサ・リレサが銀メダルに輝いた。彼が高く掲げた両手でバツ印をつくりながらマラソンの最後の直線を走った姿は、世界中で話題になった。フェイサは、「エチオピア政府が行っている虐殺や暴力」に対する無言の抵抗を平和の祭典オリンピックの場で訴えた。オリンピックは、多様性や人権について考え、表現するにあたっての最適な場であることを選手自らも実行した、記憶に残る大事な場面となった。
日本社会が変わるチャンス
開催に際し、治安問題や工事の遅延などの不安の声が大きい中で迎えられたリオデジャネイロ・オリンピックだったが、少なくとも「平和の祭典」として、つまり「多様性の受容力」において過去のすべての記録を見事に塗り替え、その役割を立派に成し遂げた。
さて、次は東京だ。まずは開催が実現するかどうかだが、開催に至った場合、大半の国民が抱いている新型コロナに対する不安と現実に対処することが求められる。それに終始するといっても過言ではない。しかし、だからといって多様性についての歩みを止めることがあってはならない。これを契機に、コロナ禍における社会全体で、人間の尊厳に重きを置く平和な社会の推進を世界に発信することができる。
例えば世界80以上の国で存在している「LGBT平等法」の制定、実質上の移民受け入れを本格化させた日本において、他の同様な国では存在している「多文化共生社会基本法」の成立、さらには、日本が先進国の中で唯一保持している夫婦同性を義務化する法律の改定など、オリンピックがきっかけで変わるチャンスという発想を持てないものだろうか。
日本の重要なポストにマイノリティーが起用され、それらの意見が取り入れられる重要性があらためて日本社会で共有された。マジョリティー、マイノリティーが手を携えて実行に移すのは今だ。勇断を望む。
【筆者:にしゃんた】
セイロン(現スリランカ)生まれ。高校生の時に初めて日本を訪れ、その後に再来日して立命館大学を卒業。日本国籍を取得。現在は大学で教壇に立ち、テレビ・ラジオへの出演、執筆などのほか各地でダイバーシティ スピーカー(多様性の語り部)としても活躍している。
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