最新記事

インド

トイレを作っても野外排泄をやめない男たち... インドのトイレ改革「成功」の裏側

2020年10月12日(月)11時10分
佐藤大介(共同通信社記者)

インド南部カルナータカ州の村落にある屋外トイレ Sachin Ravikumar-REUTERS


<6億人がトイレのない生活を送るインドで、モディ首相が2014年に提唱した政策「スワッチ・バーラト」。5年間で野外排泄をゼロにする目標を掲げ、実際に2019年、モディは目標達成を宣言した。だが本当に改善されたのか? 共同通信社記者の佐藤大介氏が、トイレ事情からインドの実態に迫ったルポ『13億人のトイレ――下から見た経済大国インド』(角川新書)より一部を抜粋する>

使われていないトイレ

ニューデリーから車で南に約6時間。幹線道路の両脇には畑が広がり、点在するレンガ工場からは煙がのぼっている。横道に入り、陥没して水溜まりだらけの粗末な舗装道路を進んでいくと、インド西部ラジャスタン州のヒンダウン市に着いた。広大なタール砂漠を有するラジャスタン州だけあって、通りには牛のほかにラクダも闊歩している。そこからさらに1時間ほど車を走らせると、キビ畑に囲まれた小さな集落が現れた。人口約1800人のアンダンプラ村だ。傾きかけた電柱には、細い電線がたるんでつながっている。電気の供給も不十分なこの村が「野外排せつゼロ」を宣言したのは、2018年10月のことだ。村内を歩くと、学校など公共施設の塀にトイレの使い方を示した絵が描かれていた。

カメラをぶら下げながら歩いている外国人の姿が珍しかったのか、中心部にある広場で村人に話を聞いていると、どこからともなく人々が集まってくる。いつの間にか、周りには20人ほどの男たちで人だかりができていた。そこで、彼らにある質問をしてみることにした。

「皆さんの中で、家にトイレがある人は手を挙げてくれませんか」

そう尋ねると、1人だけが手を挙げた。そこで、もう一つ、別の質問を投げかけてみた。

「では、皆さんの中で、今でも野外で用を足している人は手を挙げてください」

そうすると、全員が笑いながら手を挙げた。私が少し驚いたような表情を浮かべていると、初老の男性が手を挙げながら口を開いた。「昔から外で用を済ませてきたんだ。今になって変える理由もない」。妙に力強い言葉に、その場にいたほかの男性たちが次々と首を横に振る動作をした。日本では否定を示すような動作だが、インドで首を横に振るのは、同意や肯定を意味している。誰もが、その男性の言い分に納得している様子だった。

トイレは妻のたっての希望でつくられた

アンダンプラ村にあるトイレは10基ほど。家にトイレがあるかとの質問に、唯一手を挙げたポラン・サイニ(50)の自宅庭には、そのうちの2基があった。トイレを設置したのは2018年末。1基当たり約2万5000ルピー(4万円)の費用は銀行から借金して充てた。キビの栽培と飼っている水牛のミルクを売って生計をたてているサイニにとって、年収の10分の1程度にあたる額だ。だが、そのトイレをサイニは使っていない。

「せっかくトイレをつくったのに、使わないのはもったいなくないですか」

「そうかもしれないけど、トイレを掃除したり、水を管理したりするのが面倒だ。それに、地下にあるタンクが(汚物で)いっぱいになれば、回収する費用もかかるだろう」

「じゃあ、トイレに行きたくなったら、どこで用を足すのですか」

「あそこだよ」

サイニは、笑いながら裏庭の雑木林を指さした。そこは、以前から「トイレ」として使ってきた場所でもある。自宅庭にあるトイレは、2基のうち1基が使われないままになっており、農作業の道具などを収納した物置と化していた。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

仏大統領、イスラエルのヒズボラ攻撃「正当化できず」

ワールド

ロシア「エネ施設攻撃停止から撤退も」、ウクライナ違

ビジネス

英小売売上高、2月は前月比+1.0 非食品好調で予

ビジネス

ユーロ圏インフレ率、貿易戦争巡る懸念でも目標達成へ
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 3
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 4
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 5
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 6
    アルコール依存症を克服して「人生がカラフルなこと…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    最悪失明...目の健康を脅かす「2型糖尿病」が若い世…
  • 9
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えない「よい炭水化物」とは?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 7
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大…
  • 8
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 9
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 10
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story
MOOK
ニューズウィーク日本版別冊
ニューズウィーク日本版別冊

好評発売中