金正恩重体説に飛びつく期待と幻想
The Curious Case of the Maybe Dead Dictator
重体説が流れた金正恩 KCNA/REUTERS
<ほぼ何の証拠もない中で「北朝鮮の終わり」に向けたストーリーを組み立てようとする専門家やメディアには、真実は何一つ見えていないのではないか>
正午を少し過ぎたころ、朝鮮半島を南北に分断する非武装地帯(DMZ)の北朝鮮側から聞こえてきたのは、北朝鮮の最高指導者の天才を称賛するいつものプロパガンダではなかった。かわりに悲しげな音楽が流れ、続いて、最高指導者の伝記の抜粋が読み上げられた。そして、ニュースが伝えられた──北朝鮮の最高指導者、金日成(キム・イルソン)が射殺された。1986年11月16日のことだった。
当時の報道によれば、このメッセージの後、DMZの近くで北朝鮮国旗の半旗が掲げられた。一夜開けた11月17日、韓国は混乱し、何も検証することはできず、何が起こったのかを正確に知る者はいなかった。
専門家たちはそれぞれ自説を唱え、なかには自信たっぷりの者もいた。混乱は11月18日に、平壌を訪問中のモンゴルの代表団と握手を交わすために最高指導者が姿を表すまで続いた。「金日成の死」を伝えるニュースは、結局のところまったくのウソだった。
同じような混乱が4月20日の夜に起きた。脱北者が運営するデイリーNKが、北朝鮮の現在の最高指導者、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員が手術を受け、その後回復したと伝えた。その後、CNNは米情報当局者の話として、金正恩が手術後に「重大な危険」にさらされていると伝えた。
突然、ソーシャルメディアに金正恩が脳死した、昏睡状態に陥った、またはCOVID-19(新型コロナウイルス感染症)にかかったという情報があふれだした。
読めない行動パターン
しかし1986年のときとは違い、今回の騒ぎは数時間で収まった。「これはある種のキャビンフィーバー(閉鎖空間に閉じ込められたストレス)だ。私たちはあまりにも長い間、コロナウイルスのニュースばかりの世界に閉じ込められている」と、アサン政策研究所のゴ・ミョンヒョン研究員は言う。
「ここ数カ月、北朝鮮のニュースはほとんどなかったので、平壌で何かが起こっているという話を耳にして、専門家もメディアも飛びついたのだ」
北朝鮮の指導者が死んだのか、重病なのか、回復中なのか、完全な健康体なのかは、まだわからない。それがわかるのは、北朝鮮からなんらかの公式情報が発表されるときだろう。
唯一、確かなことは、金正恩が4月15日に行われた建国の父・金日成主席の生誕記念祝賀行事に姿を現さなかったことだ。北朝鮮で最も重要な行事に欠席したことは、間違いなく注目に値する。
「北朝鮮を読み解くことは難しい。彼らのすることには、私たちに期待をいだかせる特定のパターンがある」と、ソウルにある延世大学のジョン・デルリー教授(東アジア研究)は言う。「私たちは、金正恩が祖父の生誕記念日に姿を現すというパターンを期待していた。それが実現しなかったので、さまざまな憶測が一斉に広がった」
<参考記事>北朝鮮、22日も金正恩の動静伝えず 健康不安説くすぶる
<参考記事>北朝鮮のミサイル発射直後、アメリカはICBMを発射していた