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コロンビア大学特別講義

慰安婦問題が突き付ける、「歴史を装った記憶」の危険性

2019年8月15日(木)20時30分
小暮聡子(本誌記者)

戦争の記憶についての論争、いわゆる歴史問題が語られるとき、何が起きているのか。アメリカ人学生とグラック教授では、こういった会話も交わされる。


学生 一番問題なのは、記憶があたかも歴史であるかのように装っていることだと思います。現在、アジアの政治家たちはそれぞれ「これが歴史だ、これが起きたことだ」と言っているけれど、それはたいてい記憶なのではないでしょうか。

グラック教授 それは記憶が歴史を凌駕しているケースだと言えるでしょう。そして、それが政治家やマスメディアの口から語られると、何が生まれるか。戦争についてあまり知らない人たちの間でさえ、敵対心や衝突、憎しみを生んでしまうことになります。歴史を装う、という意味では成功ですよね。

ここで問題なのは、国民の記憶が第二次世界大戦の何らかの歴史を凌駕するとき、それが政治化されたり、国内でナショナリズムが高揚したりしているときには、現在東アジアで起きているような戦争の記憶に関する衝突が生まれるということです。70年以上も前に終わった戦争について、今、衝突しているのです。なんて長い年月なのでしょう。

戦争の記憶が国家間で衝突を生むのは、なぜか。それは、戦争の記憶とは国民的なもので、国ごとにその物語の「筋書き」は異なるからだ。ある国家が戦争を行い、国のために多くの人が犠牲になったのだから、その物語が「国民の物語」になるのは当然だ、とグラックは指摘する。国民の物語である以上、戦争の記憶は(最も少なく見積っても)国の数だけ存在する。歴史家が書く歴史が「一つ」であろうと努力するのとは対照的に、だ。そして複数の記憶の相違は多くの場合、苦しみや憎しみをともなって、史実よりも国民感情を刺激する。

日米が共同で作り上げた「太平洋戦争」物語

一方で、二国間でそれほど衝突を生まずに語られてきた物語もある。「パールハーバーからヒロシマまで」という、「太平洋戦争」の物語だ。グラックによれば、アメリカの戦争物語はパールハーバーから語られ、日本の物語は戦争の終わりから語られる。奇襲攻撃に対して勇敢に戦ったと語るアメリカと、原爆が落とされて世界初の被爆国となり、終戦と平和への使命について語る日本――。

この物語は、アメリカによる日本占領期に日米が共同で作り上げ、日米同盟によって戦後長らく支えられてきたものだった。筋書きは異なるにもかかわらず、日本が原爆投下についてアメリカに謝罪を求めたことがないように、また2016年12月にオバマ米大統領(当時)と安倍首相が真珠湾をそろって訪れ「和解」という言葉を繰り返し使ったように、パールハーバーと原爆投下をめぐって日米間での外交問題はほとんど起きていない(原爆投下が終戦を早めたかどうかについての議論は、主に「歴史」論争として歴史家の間で交わされるものだ)。

<参考記事>9.11を経験したミレニアル世代の僕が原爆投下を正当化してきた理由

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