民主主義が嫌悪と恐怖に脅かされる現代を、哲学で乗り越えよ
BEYOND FEAR
月経があり、出産する性である女性はこうした文化の中で常に標的にされ、不快な肉体性を象徴する存在になっている。人種差別の場合でも、黒人は「より動物的」だと言われ、ユダヤ人はしばしば「虫」に例えられた。
嫌悪は無力感や恐怖から生じることもある。例えば、トランプはアフリカ諸国を「肥だめ」と呼び、移民の「蔓延」を語る。男性が女性に怒りを感じるのは、女性がすべきはずのことをしないから。つまり男性を支える役割を拒むからだ。女性たちは職場で権利を主張し、性暴力やセクシュアル・ハラスメントで訴えることもいとわない。
一方で時代は変化している。敬意を持って女性に接するとはどういうことか、理解している男性も大勢いる。
――左派は、恐怖の言説を拡散していると保守層を非難しがちだが。
無責任な言説は右派だけのものではなく、責任感のある保守派は数多い。(『恐怖の君主制』では)トランプを民主党の政治家ではなく、ジョージ・W・ブッシュと対比している。9.11テロ後、ブッシュは非常に注意深く、責任感を持って発言した。犯人は捕まえるが、ある宗教や集団全体を悪と見なすことはしないと語り、民衆の感情を責任ある形でコントロールした。
――その点で特に優れた手腕を発揮した指導者の例を挙げてもらえるか。
フランクリン・ルーズベルト大統領は民衆の感情を導く上で、驚くほど慎重で責任感があった。アメリカ人の貧困層に対する見方を変えることが不可欠だと理解し、彼らは尊厳ある人間であり、怠惰ではなく社会的変動のせいで苦しんでいることを示そうとした。
そのための手段として、ニューディール政策を通じて芸術家も起用した。例えば(写真家の)ドロシア・ラングは、アメリカの貧困を極めて印象深く切り取った作品を残している。
私が手本とするのはマーチン・ルーサー・キングだ。民衆の感情の導き手としての彼の課題は、一般的な民衆ばかりでなく、自身の運動の内部でいかに感情を形作るかというものだった。怒りには、恐ろしい過ちに対して、同じことは二度と許さないと抗議する側面があると、彼は言っている。だがそこには報復の側面、自分を傷つけた相手を傷つけようとする意図もある。
だから、彼は「運動に怒りを持ち込む人々がいたらどうするか」と問い掛けた。怒りを純化し別の感情に導く必要があると語った。希望や、正義は可能であるという信念、そして何よりも愛へと。アメリカが最も危険で困難な政治状況にあった時代に、彼は素晴らしいやり方で民衆の感情を形作った。
――あなたは民主主義が機能していると信じることの重要性を指摘している。
絶対君主制の君主は、人々にひたすら従属と服従を求める。そんな状況の下では、君主の意思と行動に依存するのも悪くないかもしれない。しかし、依存と信頼は違う。
信頼とはもっと大きな何か、あえて自分をさらけ出し、自分の夢と未来を誰かの手に委ねることを意味する。