民主主義が嫌悪と恐怖に脅かされる現代を、哲学で乗り越えよ
BEYOND FEAR
トランプはアメリカ政治における怒りの規模と破壊度を増幅させた KEVIN LAMARQUEーREUTERS
<アメリカで注目の思想家マーサ・ヌスバウムが、恐れを読み解く哲学で提言する「嫌悪の時代」を生き抜く流儀>
イギリスのビアトリス王女、モデルのカーリー・クロス、実業家のデービッド・ロックフェラーJr.、ロバート・F・ケネディの娘ケリー・ケネディ──多くの著名人が昨年12月、ニューヨーク公共図書館に集った。
華やかなイベントの正体は第3回バーグルエン賞授賞式。その主役であり、「社会的・技術的・政治的・文化的・経済的変化によって急速に変容する世界において方向性や知恵を見いだす力となり、自己理解を促進させた思想家」に授与される同賞を受けたのは、エレガントな「哲学界のロックスター」、マーサ・ヌスバウムだった。
シカゴ大学の法学・倫理学教授である71歳のヌスバウムは正義、および正義の私的・政治的な影響に情熱的な関心を寄せる。とはいえ目を向けるのは理論にとどまらない。哲学を用いて、対話における表現をよりよいものにすることが彼女の使命だ。新著の『恐怖の君主制』では、怒りや嫌悪、嫉妬という感情は古代以来、人々の分断に利用されてきたという視点から現在の政治的危機を考察する。
学者は象牙の塔の住人で政治論争を遠ざけるという批判を、ヌスバウムは受け入れない。哲学の祖である先人らを模範とするからだろう。「古代の偉大な思想家は政治問題と距離を置かなかった。(古代ローマの哲学者)セネカはローマ皇帝ネロの指南役であり、悪行をさせまいとした。政治の現実から逃れる道はなかった」
ドナルド・トランプ大統領が誕生するずっと前から、アメリカの政治論議では「恐れ」が幅を利かせてきた。だがこの2年間、その規模と破壊度は増している。トランプ時代の今、いかに怒りを「純化」して希望を見いだすか、本誌ニーナ・バーリーが話を聞いた。
――『恐怖の君主制』では、トランプが次期米大統領に選ばれた夜に悟ったことについて書いている。
そのときは日本にいて、友人が近くにいなかった。彼らと話をし、抱き締めるという普段の方法で自分の動揺や恐れを表現できなかった。ニュースが入るたびに、ひどいパニックに陥った。有権者の間に分断が存在するのは分かっていたのに、どうして私はこんなに恐れているのか......。
そして誰もが同じことを感じていると気付いた。恐怖にはプラスになるものもある。だがこのときの恐怖とは、人々が団結して国家の問題の解決法を語り合うことを阻止するような、煮えくり返る感情だった。
――恐怖をどう定義するか。
最も原始的な感情。人間はこの厳しい世界に生まれたとき、最初の恐怖を感じる。成長すると、無力感を覚える際、恐れを理由に他人をスケープゴートにする。「全部奴らのせいだ。この国には女性や移民がはびこっている」と言う。意味のある抗議や建設的な解決策を探らずに、手近な標的に憤る。
人間はいつか死ぬという宿命、また己の動物性、つまり糞便や体液への直感的な「嫌悪」の背後にも恐怖がある。この事実はあらゆる社会に当てはまる。人は人種的・性的下位集団に「気持ち悪さ」を投影する。社会的従属や差別の大部分は、ほかの集団を極めて動物的と見なし、それをさらなる従属の根拠にすることの上に成り立つ。