NBAレジェンドが、現代のヒーロー「キング」レブロンを語り尽くす
A HERO FOR OUR TIME
レブロンは政治的・社会的な問題に対する率直な発言を通じて、その務めを果たしている。とりわけ人種間の平等の実現のために動いている。
いい例が、レブロンの政治的な発言について「ボールを転がすだけで年に1億ドルも稼いでいる人間の政治的発言なんて聞きたくない。黙ってドリブルしてればいい」とコメントした保守系政治トーク番組司会者ローラ・イングラムに対する反撃だ。
レブロンはテレビ局を動かして3部構成の番組『黙ってドリブルしてろ』を作り、彼女の時代錯誤な侮辱に応え、今の二極化した社会でアスリートの果たし得る役割を示してみせた。
私たちは「頭の空っぽなアスリート」という固定観念に基づく保守派の悪口を以前からずっと耳にしてきた。彼らは悪口による攻撃を繰り出して私たちの発言内容にふたをする。私自身について言えば、もうバスケットボールをやっていた時間よりもジャーナリストとして、作家として活動している時間のほうが長い。それでも公に意見を述べるたびに、元スポーツ選手の意見など意味がないと一蹴する人がいる。しかしレブロンは非常に聡明で尊敬されてもいるので、そうした固定観念の排除に貢献している。
私はよく、「あなたが現役だった頃の黒人アスリート活動家と今日の黒人アスリート活動家に大きな違いはあるか」と聞かれる。半世紀前だと、政治的な発言をする選手はボクシングのモハメド・アリやアメフトのジム・ブラウン、メキシコ五輪の表彰台で人種差別に抗議した陸上のトミー・スミスとジョン・カーロスなど、ほんのひと握りだった。しかし今は、声を上げる選手がたくさんいる。だから数には違いがある。ただし選手を取り巻く状況はほとんど変わっていない。
アスリートは今も、憲法で保障された言論の自由の行使を理由に処罰される。私たちが50年前に抗議したことが今も起こっている。そして一部には、ほとんど何も変わっていないという事実よりも「それを思い出させられること」に腹を立てる人がいる。
黒人アスリートなら、もう絶望して諦めたほうが楽かもしれない。それでもレブロンやコリン・キャパニック(試合前の国歌斉唱中に片膝をついて抗議したせいで干されたNFLの選手)をはじめ、多くのアスリートが正義のために闘い続けている。
レブロンにも失敗はある。例えば17年に元NBA選手で現在は解説者を務めるチャールズ・バークレーと対立している。選手補強についてキャバリアーズの経営陣に公然と不満を言ったことについて、バークレーに「泣き言が多く」「不適切」と非難されたレブロンは、「僕のレガシーを否定するのか」と猛反発した。「僕は誰かさんみたいに観客に唾を吐かないし、ギャンブルもしない。日曜日のオールスター戦にちゃんと出場できるのは週末に遊びほうけていないからだ」