【百田尚樹現象】「ごく普通の人」がキーワードになる理由――特集記事の筆者が批判に反論する
朝日新聞に訂正を申し入れた理由
もう一つ、この特集で意識していたのはアメリカのフェミニズム社会学者、A.R.ホックシールドの名作『壁の向こうの住人たち アメリカ右派を覆う怒りと嘆き』(岩波書店、2018年)です。彼女は明らかにリベラル派でありながら、「壁」を超えて、トランプ政権誕生を支えることになる右派の人たちの感情を理解しようと調査を重ねるのです。
ホックシールドは「左派でも右派でも、『感情のルール』が働いている」と指摘します。そして、自分とは違う右派にとって「真実と感じられる物語」=ディープストーリーを徹底的な調査をもとに描き出すのです。
その姿勢は私が「研究」と呼ぶ活動、そのものです。
特集の冒頭に書いたようにリベラル派からはもっとも見えないものの一つが百田尚樹氏、そして百田尚樹読者です。まず彼らを理解し、可視化するという点にこだわって取材を重ね、事実を集め、その先に現象を支える「ごく普通の人々」を浮かび上がらせようした私のスタンスと、ブラウニングやホックシールドのそれはかなり近いと思うのです。
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さて。特集への賛否はともかく、読んでいただいた読者の皆様にはお礼を申し上げたい......のですが、ジャーナリズムのプロからの批判ならば御礼だけではすまないので、批判には真摯な応答が必要です。
5月30日付朝日新聞「論壇時評」で、ジャーナリストの津田大介氏がこんなことを書いています。
《石戸は百田を「ごく普通の人」と位置付けたが、それは誤りである。百田は稀代のストーリーテラーであり、その天才的能力を敵視でつながりたい人々に幅広く提供した「相互承認コミュニティのリーダー」なのだ。》
最初の一文には明らかな誤りがあります。この論考で私は「百田尚樹=普通の人」と位置付けた事実はありません。私はレポートの結論で百田氏について「ごく普通の感覚を忘れない人」と書いていますが、それと「ごく普通の人」は、読解する上で大きな違いがあります。「位置付ける」というのは、「ふさわしいと思われる位置に置く」(日本国語大辞典)です。私はこの論考で、いかに「百田尚樹」という人が特異な才能を持っているかについて、取材をもとに明らかにしていますが、彼を「普通の人」などとはどこにも書いていません。
さらにその後に続く一文「百田は稀代のストーリーテラーであり......」は私が特集の中で強調していることです。誤りを指摘した批判のあと、この一文を続けており、これをそのまま読むと私が「百田をストーリテラー」として認識していないものと読めます。
私はこの時評が発表されてからすぐ、朝日新聞に「訂正してほしい」と抗議をしました。結果は6月27日付朝日新聞朝刊紙上で掲載されている通りです。